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マタイ 2章1〜2節     2011年10月25日

ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました。(2)

 東から来た博士が果たしてどのくらい遠いところから来たかはわかりません。「博士」とは言いますが、星を見ながら、いろいろな事を読み取ろうとする占星術師ではなかったかと言われます。いずれにしても、彼らは星を観察する中で、今までとは違う特別な星を見出します。そして、調べる中で、ユダヤ人の王が生まれる時に特別な星があらわれること、またそのユダヤ人の王は単に、ユダヤを治めるというだけでなく、世界を救うお方であることを見出したのでした。
 そのことを知った博士たちは、東の国にとどまっていることはできませんでした。彼らは遠い国を出て、多くの犠牲を払ってでも、この「ユダヤ人の王」を拝みに行きたいと願い、そしてそれを実行に移したのでした。
 彼らは「ユダヤ人の王」なのだから、当然王宮のあるエルサレムと思ったのでしょう。けれども、救い主はエルサレムの王宮にはおられませんでした。博士たちはなお旅を続けることになります。

マタイ 2章3〜6節     2011年10月26日

ヘロデはこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。(3)

 主イエスは、ヘロデ王がユダヤを治めている時代にお生まれになりました。ヘロデはイドマヤ人でした。イドマヤとはエドムのギリシャ語読みです。ヘロデはローマ皇帝に上手に取り入ってユダヤを治める権利を得ました。けれども、彼は自分の王位が脅かされるのではないかといつも疑心暗鬼でした。彼は、ユダヤ人が一時独立していた時代のハスモン王朝の血筋を引く女性と結婚して自分の王としての正当性を担保しようとします。しかし、彼女との間に子どもが生まれると、自分の王位が脅かされることを恐れて、自分の妻も子も殺してしまいます。確かに政治力のある人物でしたが、何も信じることができず、いつも何かにおびえていました。ですから、東の国の博士たちがやって来た時、不安を感じたのです。ヘロデの気性を知っていた取り巻きたちもとても恐れました。救い主が王としてお生まれになる時には、私たちは自分の心の王位を主に明け渡さなければなりません。恐れる必要はありません。この王は私たちの救いのために来てくださったからです。

マタイ 2章7〜12節     2011年10月27日

見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。(9〜10)

 ヘロデ王が集めた祭司長たちと民の律法学者たちは旧約聖書の預言者ミカの預言から救い主なるお方がベツレヘムに生まれることを知っていました。しかし、彼らはこの異邦人である東の国の博士たちの言葉をそれ以上考えようとはしませんでしたし、行動を起こそうとはしませんでした。この宗教家たちは同じ星空を見つめていたはずです。しかし、そこから何も読み取ることはできませんでした。ヘロデ王を恐れていたのでしょう。また、彼らは、まがりなりにも、ひとまず自分の立場が保証されているという中で、無用な混乱は自分の利益にならないと考えていたかも知れません。彼らは不安を覚えましたが、結局、やがてそれを忘れてしまったことでしょう。
 しかし、博士たちは違いました。彼らは旅を続けました。星が彼らを導く中で彼らは、喜びをもってベツレヘムに向かい、ついに幼な子イエスを見出します。そして、ひれ伏して拝し、それぞれのささげものをささげたのでした。

マタイ 2章13〜18節     2011年10月28日

そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き・・・(14)

 博士たちは、ヘロデ王から救い主の居場所がわかったら、帰りに寄って教えてほしいと言われていました。けれども、彼らは夢でヘロデのところに帰るなとみつげを受けて、エルサレムには戻らずに、他の道から自分の国に帰ります。
 神はヨセフにもまた夢の中で、立って家族でエジプトに逃げるようにと、おっしゃいます。そしてヨセフはその夜のうちに、エジプトに逃れたのでした。
 今は、主は夢を通してというよりも、御言葉によって私たちに語られます。しかし、変わらないのは、神の言葉を聞いた人はすぐに従うべきだということです。
 博士たちが自分のところに寄らないで帰ってしまったということを知ったヘロデは大変立腹し、ベツレヘム中の二歳以下の男の子をみんな殺してしまいます。エレミヤを通して語られていた通りのことが起きました。けれどもそのような中で、主は幼子イエスを守られたのでした。

マタイ 2章19〜23節     2011年10月29日

そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。(22〜23)

 処女が身ごもり、ベツレヘムで生まれ、エジプトに下り、そこから導き出されて、ナザレで成長する・・・それらはすべて旧約聖書に書かれていたとおりのことでした。マタイは旧約聖書を多く引用して、イエスこそが旧約聖書で約束されていた救い主であることを証明しようとしています。そのようなことからマタイは、旧約聖書を知っている読者たち、おそらくイスラエルの人々を頭に置きながら、この福音書を書いたのだろうと言われています。すべてのことは神のご計画の中で起こっていました。
 イエスが育たれたナザレは、ガリラヤ地方の小さな村で、マリヤやヨセフの故郷でした。しかし、ナザレは大人物が出るような村ではなく、かえって人々からはさげすまれていたきらいがあります。主イエスはそのような小さな田舎の村で、ナザレの村人のひとりとなってくださったのです。


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