chuo@8008amen.com


バックナンバー

旧約聖書
新約聖書
マタイによる福音書
マルコによる福音書
ルカによる福音書
ヨハネによる福音書
(章) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
  11 12 13 14 15 16
  17 18 19 20 21
使徒行伝
ローマ人への手紙
コリント人への第一の手紙
コリント人への第二の手紙
ガリラヤ人への手紙
エペソ人への手紙
ピリピ人への手紙
コロサイ人への手紙
テサロニケ人への第一の手紙
テサロニケ人への第二の手紙
テモテへの第一の手紙
テモテへの第二の手紙
テトスへの手紙
ピレモンへの手紙
ヘブル人への手紙
ヤコブの手紙
ペテロの第一の手紙
ペテロの第二の手紙
ヨハネの第一の手紙
ヨハネの第二の手紙
ヨハネの第三の手紙
ユダの手紙
ヨハネの黙示録
ヨハネ 17章1〜5節     2013年3月24日

永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。(3)

 この十七章は大祭司の祈りと言われる主イエスの祈りで、十字架を前にして主が祈られたものです。全体は三つに分かれており、主イエスご自身に関する祈り・弟子たちに関する祈り・弟子たちを通して導かれる後の教会のための祈りの三部構成になってなっています。
 この最初のところで、主イエスはまずご自身のために祈られます。ここで主イエスは、栄光に輝かせてください、と祈られます。ヨハネによる福音書では、主イエスの「栄光」が一番あらわされたのは十字架の場面とされています。私たちの罪の贖いをすることによって、救いの道を開くということは、まさに主イエスにしかできないことだったからです。その贖いによって、主イエスは信じる者すべてに永遠の命を与えられました。それは単に地上で長生きするとか、天国に行ける、ということではありません。三位一体の神の交わりの中にいれていただけるということなのです。

ヨハネ 17章6〜19節     2013年3月25日

真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。(17)

 この大祭司の祈りの二つ目の部分は、弟子たちに対する祈りです。この中で主イエスは、ご自身が父のもとに昇られてもなお、地上に残って主イエスの福音を担っていこうとしている弟子たちのために祈っておられます。彼らはこの世のものではなく、神に属するものです。しかし、同時に彼らはこの世に遣わされ、この世に  生きていかなければならないのです。主イエスはそこにどんなに大きな戦いがあるかということも知っておられました。
 そこで主は、彼らを聖別してください、と祈られます。聖別するとは神さまの特別な働きのために取り分け、その働きを担うにふさわしいものとして整えられるということです。私たちを聖別するのは神の御言です。生ける神の御言が私たちを神のものとし、私たちを神に仕える者とします。
 そしてここで主は、彼らのために、私自身を聖別します、とおっしゃいます。私たちを聖別するのは神の御言であり、十字架の上でなされたキリストの御業なのです。

ヨハネ 17章20〜26節     2013年3月26日

わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。(23)

 主イエスは、次に、弟子たちを通して主を信じようとしている人々のためにも祈られます。当然、その中には私たちも含まれています。ここで主が繰り返し祈られたのは、彼らが一つとなること、でした。同じ主を信じ礼拝しているのだから、一つであるのは当然です。しかし現実には、主イエスの十二弟子たちもそうであったように、主を信じる私たちが一つであるということは、やさしいことではありません。ここで主は「完全に一つとなるため」とおっしゃいました。この「完全」とは、主イエスと御父とが一つであるのと同じです。ですから、これは決して人間の自然の力でできることではなく、そのことが起こること自体が神の業であり、奇跡なのです。
 そのことは主イエスが私たちのうちにいてくださることによって初めて実現します。そして、私たちが一つである時に、私たちを愛していてくださる神がおられるということが力強い証しとして人々に伝わっていくのです。


礼拝メッセージ
毎週日曜日の
礼拝での
メッセージから


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに