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ヨハネ 10章1〜6節     2013年2月18日

そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。(3〜4)

 羊飼いのたとえですが、九章の続きとして書かれています。主イエスの時代の宗教家たちは、あの神のみわざを経験した一人の男を追い出してしまいました。しかし、主は彼と出会い、彼を信仰告白に導かれました。この十章で描かれている羊飼いは主イエスのことです。主はあの目の見えるようになった男を導かれたように、私たちにも心をかけ、救い、導いてくださいます。
 この羊飼いは自分の羊の名前を知っています。そして一匹ずつ名前を呼んで連れ出します。そして羊飼いは羊たちの先頭に立って群を導きます。羊の方も、羊飼いの声をちゃんと覚えています。他の声には付いていきません。
 主も私たちのことを一人一人知っていてくださいます。私たちの名を呼んで引き出し、恵みの中を間違いなく歩ませて下さるのです。私たちも日々御言を開きつつ、主の御声を聞き、このお方についていきたいと思います。

ヨハネ 10章7〜21節     2013年2月19日

わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。(10 〜11)

 主イエスは「わたしは門である」とおっしゃいました。救われるためには必ずこの門を通らなければなりません。主イエスを信じることが救いのための唯一の道です。
 続いて、主は「わたしはよい羊飼である」とおっしゃいました。よい羊飼はいつでも羊のことを心にかけています。羊のことをみな知っていて、命をかけて羊を守ります。主イエスこそが私たちのよい羊飼いであり、私たちはこの羊飼いに飼われている羊です。主イエスは私たちに豊かな命を与えてくださいます。そのために、主は命さえもささげてくださったのです。
 私たちはこのすばらしい羊飼いのもとに置かれていることを感謝したいと思います。けれども同時に、主は、「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がいる」とおっしゃいます。私たちはまだ主イエスのもとに帰ってきていない人たちに、祈りをもって主イエスを伝えていきたいと思います。

ヨハネ 10章22〜39節     2013年2月20日

わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。わたしは、彼らに永遠の命を与える。(28〜29)

ユダヤ人指導者たちは、主イエスのなさることや、その発言にいらだちを強めます。そして、「あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」と問い詰めます。それに対して、主は「わたしと父とは一つである」と語られ、自らが人となってこの世に来た神の子であることを示されます。しかし、主イエスの言葉はますます宗教家たちを憤らせることになったのでした。
 主イエスは正直に、真実を語られたのですし、また主イエスがしておられることを素直に見ていたら、当然、主イエスが神の子であり、約束されたキリスト、救い主であることは明白でした。要は、彼らは初めから信じる気持ちがなかったのです。そして信じる気持ちのない人はどこまでいっても主を理解することはできません。
 しかし、主を信じ受け入れて、主の御声を聞いて従う者を主は滅びから救い、永遠の命を与えて下さるのです。

ヨハネ 10章40〜42節     2013年2月21日

多くの人々がイエスのところにきて、互に言った、「ヨハネはなんのしるしも行わなかったが、ヨハネがこのかたについて言ったことは、皆ほんとうであった」。そして、そこで多くの者がイエスを信じた。(41〜42)

 主イエスは、身の危険を感じて、ユダヤを離れ、ヨルダン川の東側に退かれます。そこはバプテスマのヨハネが、初めにバプテスマを授けていたところでした。主は、決して恐れにとらわれてユダヤから逃げたのではありません。主は十字架の死を予見しておられました。ただ、その時がまだ来ていないと感じておられたのです。
 主イエスがヨルダン川の向こう側に退かれた時、人々も主イエスについてきました。そしてヨルダン川のそばに来た時に、人々は必然的にバプテスマのヨハネのことを思い起こしたのでした。
 そして人々は当然のようにヨハネと主イエスを比較して語ります。そして言うのです。ヨハネは特別に、みんなが驚くような奇跡を行うことはなかったけれど、イエスさまについて言っていたことは皆、本当だった。そして多くの人たちがイエスさまを信じました。私たちも同じような生き方がしたいと思います。


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