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ルカ 23章1〜12節     2019年8月17日

そこでピラトは祭司長たちと群衆とにむかって言った、「わたしはこの人になんの罪もみとめない」。(4)

 ユダヤ人の宗教議会において冒?罪で死刑の判決を受けた主イエスは、今度はユダヤを治めていたローマの総督ピラトの下に連れていかれました。その当時、ユダヤ人たちはローマの支配下にありましたので、自分たちの裁判だけで死刑を執行することはゆるされていなかったからです。しかし、ローマの法律には、神に対する冒?罪などありません。そこで宗教指導者たちは巧妙に罪状を入れかえます。神を冒?したのではなく、自分が王だと言って、反逆しているとして「反逆罪」で訴えたのです。
 しかし、ピラトが調べても、イエスさまに反逆罪を起用することはできない・・・それがピラトの結論でした。しかしピラトは主イエスが北部ガリラヤの人であったことから、ガリラヤ地方を治めていて、ちょうどエルサレムに来ていた領主ヘロデのもとに主イエスを送ります。けれどもヘロデの判断も、主イエスがローマ皇帝に反逆しているなどあり得ないということでした。主イエスはまことに罪のないお方だったのです。

ルカ 23章13〜25節     2019年8月18日

ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り、イエスを十字架につけるように要求した。そして、その声が勝った。(23)

 ピラトがヘロデのところにイエスさまを送ったのには、面倒に巻き込まれたくない、という思いもあったのでしょう。しかし、やはり、判断する責任を負っていたのは総督ピラトだったのです。
 ピラトは主イエスが死刑に相当しないということを知っていました。また主イエスがこうして捕らえられ、訴えられているのが、宗教家たちのねたみによるものであることも分かっていたようです。ピラトは主イエスをゆるそうとします。そこで祭のたびに一人の囚人をゆるしてやるという慣例に従って主イエスをゆるそうとするのですが、人々は「その人を殺せ、バラバをゆるしてくれ」と叫んだのでした。バラバは暴動と殺人の罪で死刑に決まっていました。バラバが捕らえられていたのは実は独立運動がらみだったかもしれないと言われています。民衆はバラバを選び、主イエスを捨てました。「そして、その声が勝った」。まさに良識ではなく、声の大きさが救い主の死刑を決めたのでした。

ルカ 23章26節     2019年8月19日

彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。(26)

 クレネとはアフリカ最北部の町です。アフリカから来ていたシモンがどのような人物だったかについては諸説があります。クレネ出身だったけれど、ユダヤに移住していたのかもしれませんし、、または、わざわざ遠い旅を続けて過越の祭を祝うためにやってきた異邦人巡礼者だったのかもしれません。
 しかしローマの兵隊は、主イエスがつけられる十字架をクレネ人シモンに運ばせました。シモンにとっては大迷惑だったことと思います。血に濡れた十字架を運ぶということは、自分も汚れを負って、過越の祭を祝うことができなくなってしまうのです。
 けれどもクレネ人シモンにとっては、選択の余地はありませんでしたし、命令を拒むことはできませんでした。しかし、この男が「クレネ人シモン」と名を上げて記されていることから、主イエスの十字架を負ってゴルゴダの丘に上ったということが後のシモンとその家族にとって大きな祝福となっただろうと言われています。

ルカ 23章27〜31節     2019年8月20日

イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。(28)

 主イエスを慕う女たちは泣きながら主イエスについていきました。女性たちは、主イエスの裁判のプロセスにおいても、ただただそこで起こっている恐ろしい出来事を見ていることしかできないという立場でした。
 しかし、主イエスは泣いている女性たちに対して、「わたしのために泣くな」とおっしゃいます。主イエスは大きな苦難がこれから先、エルサレムに臨むことを知っておられたからです。ここで主イエスが語られたのは、紀元70年のローマ軍によるエルサレム陥落の時のことだろうとされています。その時、ローマ軍は、エルサレムの神殿も城壁も徹底的に破壊し、多くのユダヤ人たちを殺したのでした。
 主イエスは大きな苦しみの中にあって、十字架の道を上りながら、エルサレムとその町にいる人々のために心を痛めておられました。悔い改めて、神を仰ぐことがすぐに必要でした。

ルカ 23章32〜38節     2019年8月21日

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。(34)

 イエスさまは「されこうべ」(ゴルゴダ)と呼ばれる刑場に引いて行かれました。その日は他に二人の犯罪人たちも死刑にされようとしていました。彼らは犯罪者であり、当然の報いとして十字架につけられました。まさに、罪のない神の子、聖なるお方が犯罪人と一緒に、重罪人のひとりとして十字架につけられたのです。
 十字架の上で主イエスは「父よ」と祈られました。そのような、わりに合わない苦しみの中にあっても、神に信頼し、親しい交わりの中にあるお方として「父よ」とお呼びになりました。
 そして主イエスは父なるお方に「彼らをおゆるしください」と祈られたのです。彼らとは、主イエスを訴えた宗教指導者たちであり、主イエスのことを見捨てた弟子たちであり、「十字架につけよ」と叫んだ群衆であり、主イエスの十字架刑の執行に当たった兵隊たちであり、また私たちのことでもありました。主イエスの十字架上の祈りによって、そこで成し遂げられたあがないによって、私たちはゆるされたのです。

ルカ 23章39〜43節     2019年8月22日

イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。(43)

 イエスさまの十字架の場面では、主イエスを十字架につけたユダヤ人の役人たちも、ローマの兵卒たちも、また主イエスの十字架の横にはり付けられていた犯罪人の一人も、主イエスをあざけりました。そして彼らの口から共通して出て来たあざけりは「自分を救え」という言葉でした。主イエスは神の子ですから、自分を救うことはわけないことだっただろうと思います。しかし、もし主イエスが十字架を離れて、自分を救ってしまったら、私たちの救いの道は開かれなかったでしょう。ですから主イエスはあざけられても、苦しみを耐え、それをになって下さいました。
 主イエスの十字架の横にいたひとりの犯罪人はそんなイエスさまを見ながら、イエスさまが本当に救い主であって、御国の権威をもって来られるお方だと分かったのでした。そして主イエスは彼に、「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる」と約束してくださいました。主はご自身にすがる人を必ず救ってくださいます。

ルカ 23章44〜49節     2019年8月23日

そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。(46〜47)

 主イエスは十字架の上で、まさに息を引くとろうとした時にも、「父よ」と祈られました。そして、その霊を父なる神のみ手におゆだねになったのでした。主イエスの生涯は決して楽なものではありませんでした。特に、その十字架の死はあまりにもむごたらしく、神に信頼してその生涯を全うされた主イエスに対して、あまりにも酷だと思えるものでした。しかし、主イエスは父なる神に対する信頼を全うされ、その息を引き取られるときにも、ご自身を父なる神の手にゆだねられたのでした。そして神は主イエスをそのみ手に喜んで受け入れてくださったのです。
 主イエスが十字架で息を引き取られた時、処刑の現場責任者であった百人隊長が、神をあがめ、「本当にこの人は正しい人であった」と言いました。多くの犯罪者の死に立ち会ってきた百卒長でしたが、イエスさまのような死に方をした人は一人もいなかったのです。

ルカ 23章50〜56節     2019年8月24日

ここに、ヨセフという議員がいたが・・・ピラトのところへ行って、イエスのからだの引取り方を願い出て、それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。(50、52〜53)

 ヨセフは、ユダヤ人の七十人議会(サンヘドリン)のメンバーでした。彼は人々からも尊敬されていたことでしょう。このアリマタヤのヨセフがローマの総督ピラトに、主イエスの遺体の引き取り方を願い出たのでした。
 彼の行為は二重三重の大きな意味を持っていました。第一に、この時は過越の祭の期間中でした。もし、主イエスの遺体に触れたら、身を汚すことになり、大切な祭に参加できなくなってしまいます。
第二に、このヨセフの行為は、主イエスを神を冒?する者として断罪するユダヤ人指導者たちに対して自分の主イエスに対する立場を明白にすることになります。
第三に、主イエスは反逆罪によってローマの法律に基づいて処刑されました。その主イエスを引き受けて葬ることはローマ政府に対しても自分の立ち位置をはっきりさせることになることでしょう。しかし、このヨセフは主イエスの十字架の死を通して、自分の旗色を鮮明にする道を選んだのでした。



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