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ルカ 21章1〜4節     2019年8月2日

よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである。(3〜4)

 神殿の異邦人の庭から内側に入るとそこには婦人の庭というエリアがありました。ユダヤ人はそこに入ることができました。(婦人の庭から美しの門を通ってさらに奥に進むと、そこは男子の庭になります。そして男子の庭の中に聖所が建っていました)。さてその婦人の庭にはラッパ型のさいせん箱が13個設置されていたと言います。主イエスはそこで人々が献金をするのを見ておられました。多くの金持ちたちが大金を献げています。当時のお金は紙幣ではなく、皆硬貨でしたから、献金するとどのような硬貨をどれだけささげたか音である程度分かったのです。またお金持ちはこれ見よがしに献金をしていたかもしれません。しかし、貧しいやもめが一番小さなレプタコインを二枚献げた時、主イエスはこのやもめの献金が誰よりも多かったとおっしゃいます。彼女は自分の持っているものすべてをささげたからです。金額は問題ではないという話ではありません。私たちが主を愛し、主に信頼して生きるかどうかということです。

ルカ 21章5〜9節     2019年8月3日

「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」。(6)

 あの律法学者もそうでしたし、またさいせん箱に金を投げ入れる金持ちたちもそうだったのですが、人からどう見られるかということばかり気にしている人たちがいました。また物事の表面的なことにばかり目の行っていた弟子たちやその当時の人々の姿もそこにはありました。今日の箇所でもある人たちは神殿の石や奉納物の見事さに目が行って感嘆していました。しかし、目に見えるものはやがて過ぎ去っていきます。主イエスは、この石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が来るとおっしゃいました。そして実際、主イエスがこのことを語られてから四十年後に本当にエルサレムの神殿はローマの軍隊によって完全に破壊されてしまうのです。
 いつ起こるのか、どんな前兆があるのか、と人々は尋ねます。終わりの時が近づいています。主イエスが教えられたように、私たちも惑わされないように気をつけたいと思います。

ルカ 21章10〜19節     2019年8月4日

どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。(14〜15)

 このところで、主イエスが語られていることの中には、紀元七十年のエルサレム陥落の時のことと、世の終わりの時のことが含まれています。世の終わりの前兆として、主イエスは迫害が起こることを語られます。しかし、迫害は決して単なる苦難ではありません。主イエスはその迫害が「あなたがたがあかしをする機会となる」と語られます。悪しき者たちが、教会を迫害し、黙らせ、潰してしまおうとしたとしても、そのことがかえって、信じる者たちに、主イエスをあかしするチャンスとなるのです。
 でも、そのような状況で、私たちはあかしができるでしょうか。また一体、何を語ったらよいのでしょうか。主イエスは「だれもが抗弁も否定もできない言葉と知恵とをわたしが授ける」と約束して下さいました。困難はあるでしょう。けれども、恐れる必要はありません。私たちの髪の毛ひとすじさえも守っていて下さるお方がいてくださるからです。

ルカ 21章20〜28節     2019年8月5日

そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。(27)

 終末とか世の終わりというのは、決して単にこの世が行き詰まり、多くの困難や混乱があるとき、キリスト者たちが迫害を受け、信仰を試されるとき、ということではありません。それらのことは終末の前兆であって、最後の時はまだ来ていません。この世の終わりとは、歴史の完成の時、私たちの救いの完成の時です。
 主イエスが大いなる力と栄光とをもって、雲に乗って帰って来られます。主イエスが二千年前にこの世に来られた時、主イエスは私たちの救いのために必要な贖いを全うするために、苦しみを受け、死んでくださいました。しかし、よみがえって天に帰られた主イエスがもう一度来られるときは、王の王、主の主として世を治めるために来られます。主は正しい裁きをしてくださいます。そして、主を信じ、すがって生きる者は、栄光の姿に変えられて、主イエスが治められる御国でとこしえに生きるのです。再臨は決して、霊的に、分からないうちに起こるのではありません。主が来られるとき、人々はそれを見るのです。

ルカ 21章29〜38節     2019年8月6日

これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい。(36)

 再臨が近づくとき、主はそのことを私たちに教えてくださいます。それがいつかということは分かりません。しかし、いろいろなしるしを見る中で、私たちが主をお迎えする準備ができるように、私たちにそのことを教えてくださるのです。私たちが見ている世界はやがて過ぎ去っていきます。過ぎ去っていくものに私たちの命の土台を置いていたら、それはとても危険なことです。変わらないもの、滅びないものがあります。それは主イエスの言葉です。主イエスの言葉に信頼し、そこに土台を置くことが大切です。
 やがて主イエスが帰ってこられます。私たちが喜びのうちに、主イエスの御前に立つ日が来ます。私たちはその日を待ち望みながら、いつも目を覚まして主をお待ちいたしましょう。主がゆだねてくださった働きを忠実に担いながら、祈り続けていく者たちでありたいと思います。



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