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ルカ 1章1〜4節     2019年4月3日

わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが・・・ (1〜2)

 新しい福音書に入っていきます。主イエスの教えとその生涯について四人の人たちが記録を残してくれているのはとても感謝なことです。これらの、書き手も読み手も執筆事情も目的も違う福音書によって、主イエスの生涯についてより立体的に知ることができるからです。この第三福音書はテオピロというローマの高官に対して献上されたものです。そしてこの執筆者は様々な証言を詳しく調べ、順序正しく書きつづるという歴史家としての視点を持っていることが分かります。この福音書の著者は伝統的にギリシャ人でパウロの伝道旅行にも同行した医者ルカだとされています。
 主イエスの物語は、決して作り話ではなく、わたしたちの間に成就したこと、多くの人たちが実際に見たことでした。ただ同時に主イエスに関することは、主イエスを信じ、その御言に仕える人でないと理解できないことでもあります。信じ、聞き従う心をもって聖書を読んでいきたいと思います。

ルカ 1章5〜25節     2019年4月4日

時が来れば成就するわたしの言葉・・・(20)

 ザカリヤとその妻エリサベツは祭司の家系に生まれ、「ふたりとも神のみまえに正しい人」でした。彼らは子どもが与えられるように祈っていましたが、子どもはなく、二人ともすでに年老いていました。
 さて、ある時、ザカリヤはくじに当たって、聖所に入って行って、そこで香をたく当番になりました。それは一人で聖所に入っていって仕事をする、とても光栄な務めでもありました。彼が聖所の中で仕事をしている間、人々は外で祈りながら、彼が出てくるのを待っています。
 しかし、その聖所の中で天使ガブリエルがザカリヤの前に現れます。そして、祈りが答えられて、エリサベツに男の子が生まれる、と告げたのでした。
 けれどもザカリヤにはそれはとても信じられないことでした。自分たちはあまりにも年をとりすぎていました。そしてザカリヤは彼に告げられた喜ばしい知らせを信じることができなかったのです。主の言葉は時が来ると必ず成就します。私たちに求められているのは信じて待ち望むことなのです。

ルカ 1章26〜38節     2019年4月5日

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。(38)

 エリサベツが妊娠して半年たったころ、御使いガブリエルは今度はガリラヤ地方のナザレという町の一処女マリヤのところに訪れました。そして開口一番、「おめでとう」と彼女に声をかけたのでした。マリヤは恵まれていました。マリヤはイスラエルの人々が皆待ち望んでいた約束の救い主の母親に選ばれたからです。
 ただマリヤはとても戸惑います。自分にはいいなづけのヨセフがいますけれども、まだ結婚していないのです。けれども、御使いは「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう・・・神には何でもできないことはありません」と告げたのでした。
 マリヤは「わたしは主のはしためです」と答えます。「はしため」とは女奴隷ということです。主の僕、主にお仕えする者としてマリヤは自分を神の御手の中にゆだねたのです。マリヤは「お言葉どおりこの身になりますように」と御言葉を受け入れ、神もまたそのようなマリヤを喜んでくださったのでした。

ルカ 1章39〜45節     2019年4月6日

主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう。(45)

 マリヤとエリサベツは親戚でした。マリヤはエルサレムの近郊に住んでいたエリサベツのところに行って三か月ほど滞在します。マリヤは神の祝福として聖霊によって神の子を宿したのですが、結婚前の彼女が妊娠して・・・ということになると小さな村ではすぐに噂が広がって行くでしょうし、妊娠初期の不安定で大切な時を、親戚のエリサベツのところで過ごせたことは彼女にとってはとても大きいなことだったと思います。また何よりも、他の誰もマリヤのことを信じることができなかったとしても、エリサベツは彼女を信じ、受けとめることができました。同じ神の不思議な御業を経験していたからです。ここにも神の行き届いた配慮があります。
 マリヤは人間的には理解できなかったとしても、主がお語りになったことは必ず成就すると信じました。そして主の語られる言葉をそのまま信じて生きることが、私たちにとってどんな地上的な祝福にあずかる以上に大きな祝福であることを、私たちは知っていたいと思います。

ルカ 1章46〜56節     2019年4月7日

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救主なる神をたたえます。
この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。(46〜48)

 マリヤの賛歌と言われる賛美です。このところでマリヤは心から神をたたえています。それは、主は自分を心にかけ、自分に大きなことをしてくださったからです。私たちも心から主をあがめて賛美したいと思います。主はマリヤだけでなく、私たちのこともその御心にとめて、大きなことをして下さいました。主イエスの十字架と復活によって、救いを備え、私たちにそのすばらしい救いを与えてくださったからです。
 しかし、マリヤの身に起こったことは決して、個人的な祝福ではありませんでした。マリヤの信仰と従順によって生まれようとしている主イエスは、アブラハムとその子孫に約束され、待ち望まれていた救い主であり、また世の中を逆転させ、卑しい者・飢えている者・貧しい者たちに救いを与える方でした。イスラエルだけでなく、世界の世々の民にこのお方の救いはもたらされようとしていました。

ルカ 1章57〜66節     2019年4月8日

ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。(63)

 エリサベツは月が満ちて男の子を産みます。ザカリヤやエリサベツの周りにいた人々は彼らと一緒に大きな喜びに満たされます。さてこの赤ちゃんに名前をつけるというときに、人々は、父親の名前にちなみ、その名前を受け継がせて「ザカリヤ」にしようと言います。おそらくそれが一番自然で妥当なことだと考えられたのでしょう。しかし、ザカリヤは天使ガブリエルからその名前は「ヨハネ」と言われていました。このヨハネとは「主は恵み深い」というヘブル語から来ています。エリサベツからそのことを聞いた人たちは、父親のザカリヤに尋ねます。そしてザカリヤも、「その名はヨハネ」と書板に書き記したのでした。
 その時、あの聖所で御告げを受けた日からしゃべれなくなっていたザカリヤの口がとけて、語り出して神をほめたたえ始めました。一年間沈黙を強いられたザカリヤは心からの喜びをもって神を賛美せずにはいられなかったことでしょう。

ルカ 1章67〜80節     2019年4月9日

神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、わたしたちを敵の手から救い出し、生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。(72〜75)

 ザカリヤは聖霊に満たされて賛美し、預言して言います。まさに神さまが約束された救いの日が近づいていました。約束のメシヤが来ようとしていたのです。まさにヨハネの奇跡的な誕生は、このメシヤの到来の前触れでした。
 アブラハムはザカリヤたちの時代からすれば二千五百年ほど前の人だっただろうと考えられます。しかし、神はアブラハムにした約束を決して忘れてはおられませでした。きたるべきメシヤ(キリスト)は単に強大なイスラエルを復興し、繁栄を回復させるお方ということではありませんでした。このお方は私たちに「罪のゆるしによる救い」をもたらし、私たちを「生きている限り、きよく、正しく、みまえに恐れなく仕えさせ」てくださるお方です。そしてザカリヤとエリサベツに生まれたヨハネはバプテスマのヨハネと呼ばれて、主イエスのために道備えをすることになります。



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