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ルカ 4章1〜13節     2019年4月19日

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。(4)

 バプテスマをお受けになって、聖霊に満たされた主イエスは「荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされた」のでした。聖霊は時に、私たちを荒野に導かれることがあります。私たちは荒野に行きたくはありません。しかし、主が私たちをにぎやかで騒々しく豊かな場所から、静かで寂しい荒野へと導かれることがあるのです。主イエスはそこで「悪魔の試み」にあわれました。導かれたところが荒野で、そこには悪魔の試みがあって・・・ということになると、これが神の導きと言えるのだろうかと不安にもなります。しかし、荒野でないと経験することのできない神の恵みがあるのです。
 悪魔は、もしあなたが神の子であるなら、この石にパンになれと命じなさい、と言います。主イエスは神の子ですからそれはたやすいことだったでしょう。悪魔は罪からの救いを、空腹からの救いに置き換えさせようとしていました。しかし主イエスは御言葉をもって悪魔を退けられました。まさに私たちを生かし、悪魔のたくらみに勝利させるのは神の御言なのです。

ルカ 4章14〜30節     2019年4月20日

そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。(21)

 バプテスマを受けられ、サタンの誘惑に打ち勝たれた主イエスは御霊の力に満ちあふれて宣教の働きを始められました。主イエスの噂はすぐにその地方全体に広がりました。
 そんな中で主イエスはガリラヤ地方の内陸部の町ナザレに行かれました。ここは主イエスが育たれた町でした。その頃、イスラエルでは町ごとにユダヤ教の会堂が置かれ、安息日毎に聖書が朗読され、礼拝が献げられていました。この会堂のシステムはイスラエルの人たちが国を失い、捕囚の民として世界に散っていったときに発展したと言われています。会堂は礼拝と教育の場でした。
 主イエスはその日、手渡されたイザヤ書六一章の御言葉を読み、この御言は今日成就した、と宣言されました。旧約聖書で約束されていた救い主がまさにそこに立っておられました。しかし、ナザレの人々は主イエスを信じることができませんでした。かえって主イエスを殺そうとしたのでした。

ルカ 4章31〜37節     2019年4月21日

みんなの者は驚いて、互に語り合って言った、「これは、いったい、なんという言葉だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じられると、彼らは出て行くのだ」。(36)

 カペナウムはガリラヤ湖畔の町です。そしてこのカペナウムは主イエスの宣教活動のベース基地になりました。人々は主イエスの教えに驚きました。主イエスの言葉には権威があったからです。主イエスは自分の言葉で語り、また主イエスは自分で語る通りに生きておられたのです。
 主イエスがカペナウムの会堂で教えておられたとき、そこに悪霊につかれた人がいて、大声で叫び出しました。主イエスは悪霊をしかりつけて「黙れ、この人から出て行け」とおっしゃいました。すると悪霊はこの人かて行ってしまったのでした。
 人々はさらに驚きをもって語ります。「これは、いったい、なんという言葉だろう」。主イエスの言葉には権威があります。主イエスが語られるとその通りになっていくのです。私たちの生涯を変え、私たちを生かす主イエスの言葉を心にいつも置いていたいと思います。

ルカ 4章38〜41節     2019年4月22日

そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。(39)

 シモン・ペテロはガリラヤ湖の漁師でした。シモンは結婚して奥さんやその親もいました。シモンはある意味、家の大黒柱です。そのペテロが主イエスの弟子になって、漁師をやめて家から出て行ってしまうとしたら、それはとても大変なことです。ペテロの義母にとっても大きな不安を感じさせるものだったと思います。しかも彼女は病気になって高熱が続いていました。この時代にそのような症状が続くということはとても大きな不安をもたらすものだったことでしょう。
 人々はそのことを主イエスに伝え、主イエスにお願いします。主イエスは「そのまくらもとに立って」くださいました。そして熱が引くようにと命じられたのです。主が語られるとその通りになりました。熱が引いて彼女はすっかり元気を取り戻しました。彼女は起き上がって主イエスたちをもてなしたほどです。彼女はその病が癒されただけでなく、義理の息子の献身についても、その後の自分たちの歩みについても、主イエスに信頼する覚悟が決まったことでしょう。

ルカ 4章42〜44節     2019年4月23日

しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。(43)

 主イエスのところには多くの人たちが集まるようになりました。主イエスの教えを聞きたいという人たちもいたでしょうけれど、主イエスに病を癒していただきたいという人たちもたくさんいましたし、また主イエスの行われる奇跡が見たいという人たちも大勢いたことでしょう。まさに主イエスは時の人でした。
 しかし、主はひとりになろうと寂しい所に出て行かれました。主イエスはしばしば寂しい所で、神の前に時を過ごそうとされたのです。主イエスは人に注目され、また賞賛されるというところにとどまろうとはされませんでした。それは主イエスがこの世に来られた目的とは違いましたし、また主イエスが一番願っておられた、苦しみを受けて人々のあがないをし、罪からの救いを与える、という使命を果たせなくなってしまいかねないことだったからです。
 主イエスはあえて他の町々に出て行かれました。そのこにも神の国の福音を伝えなければならなかったからです。



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