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偉くなりたい  マルコ 10章35〜45節

あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならなければならない。(43−44)

 主イエスは弟子たちに「偉い」とはどういうことなのかを教えられました。くなりたいという願い自体は問題はありません。ただ、その「偉い」とはどういうことか。主イエスは教えられました。すべての人の僕にならねばならない。それは自分が特をするということではなく、人に与え、人に仕えるということです。

1 人の求めに答える

 その人が願っていること、して欲しいと考えていることをするのです。しもべは自分のことを考えているのではなく主人のことを考えています。ですから、その人の言葉に耳を傾け、ちょっとした仕草にも心を向けています。そして、しもべは「いやです」「それはできません」とは言わない。何であっても、その人が願っていることをするのです。しもべは、その人の喜ぶことをします。しもべの願いは主人を喜ばせることなのです。

2 与える

 損をする。僕は与えます。受けること・自分が得をすることを考えるのではなく、自分をささげ、与えます。しもべは自分が犠牲を払うこと、損をすることを厭いません。仕えるとはそういうことなのです。

3 愛する

 第三にしもべはいやいやながら、仕方なく仕えるのではありません。しもべは主人を愛して、心から犠牲を払います。しもべはそれを犠牲とは思わないし、損をしたとか、犠牲を払ったとか、そういう悲壮感や無理をしている感はありません。なぜかというと、しもべは主人を愛しているからです。いやだけど、言われてしまったから渋々従う、ということではありません。
 しかし、実際に、わたしたちはこんなしもべになれるのだろうか。ここで主イエスは、すべての人のしもべ・・・と言いました。仕えやすい人、仕えにくい人いるでしょう。この人は親切だし、自分に対しても謙虚なので、こういう人だったら仕えたい、そう思わせる人は確かにいます。しかし逆に、この人には仕えたくない、そういう人もいるにちがいありません。けれども、偉くなるとはそういうことです。だとしたら、私たちには無理だ、またできたとしてもやりたくない。しかし、主はわたしたちをそのような僕の道にまねいておられるのです。

 そして、知ってください。主イエスはただ弟子たちだけにそのことを要求されたのではありません。いばることは得意だけれど、本当に主イエスは神の子です。メシヤです。当然、人々は、この主イエスに従うべきです。けれども、仕えてくださったのは主イエスの方でした。そして、主イエスは仕えつくし、与えつくして、いのちまでも私たちに与えて下さったのです。そしてそのいのちをもって私たちをあがなって下さいました。その上で、私たちにも、自分が私たちに仕えて下さったように、仕えるようにと呼びかけておられるのです。


    
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