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輝く主イエスを見る  マルコ 9章 1〜13節

ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くできないくらいになった。(2‐3)

 六日の後・・・とマルコは書きます。この日の出来事を三人は決して忘れることはなかったのです。そしてその山の上で主イエスの姿がまばゆいほどに光り輝いたのでした。

1 栄光に輝く主イエス

 それはまさに主イエスの本来のみ姿・神の栄光の輝きであり、また全く罪のないお方としての曇りも汚れもないお姿でした。このお方はまことに主の主、王の王なのです。

2 約束の成就者としての主イエス

 山の上で、主はモーセやエリヤと話をしていました。彼らは、国が危機の時代に、主の言葉を語り、国を救いに導きました。またモーセは律法を、エリヤは預言者をしているという意味でも、まさに旧約聖書を代表する二人だったとも言えます。ルカはこの三人がエルサレムでこれから起ころうとしていること、つまり十字架について語り合っていたのだと言っています。まさに、主イエスがこれからしようとしておられることは旧約聖書の時代からずっと待ち望まれていたことでした。
 この様子を見ていた三人のうちの一人のヨハネは、確かに、主はあそこで本来の姿を表された。でもこのお方が一番輝いていたのは、十字架の上だったと言います。十字架につけられた主イエスの姿は決して格好の良い、栄光に満ちたものに見えなかったでしょう。けれども、そこまで自分を低くし、謙遜の限りを尽くしつつ、父なる神の御心の真ん中を歩んで行かれた主イエスにあって初めて、私たちのための救いの道が開かれたのです。

3 私たちが聞くべき主イエス

 ペテロは言いました。小屋を三軒建てます。あなたのために、モーセのために、そしてエリヤのために。ペテロは自分の思う精一杯を言ったのだと思います。その時に雲が三人をおおい、天から声がしたのでした。「これは私の愛する子。これに聞け」。まさに主イエスが旧約聖書の中に預言された王なるメシヤであり、神の子なるお方であることが天からの声で確証されたのでした。そして、声が言います。「これに聞け」。声が聞こえた時、弟子たちはあたりを見回します。しかしもはや誰も見えず、ただイエスだけが自分たちと一緒におられた。私たちはこの方に耳を傾け、この方を見るのです。この方こそが神から遣わされた救い主だからです。

 私たちがこのお方に聞き続けていく時に、人間的に言うなら、有名人になったり、みんなに賞賛されると言うこともないかもしれません。けれども、このお方に聞き続けている時に、私たちもまたやがて、栄光の姿に変えられるのです。


    
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