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互いに和らいで  マルコ 9章 38〜50節

あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに和らぎなさい。(50)

 ヨハネが報告します。自分たちの面識のない者が勝手にあなたの名前を使って悪霊を追い出していました。けしからんのでやめさせました。
 けれども、イエスさまはとても寛容です。いいではないか。私の名前を使って力ある業が起こって、私の名前を使いながら、私をそしることはできないだろう。
 そして、主イエスはおっしゃるのです。あなたがたのうちに塩を持ちなさい。そして互いに和らぎなさい。

1 うちに塩を持て

 塩は単に、味をつけるというだけでなく、腐敗を防いだり、味に深みをつけたりします。それは、イエスさまを信じて歩んだら、それらしい味がするでしょう、ということです。クリスチャンで、神さまに信頼している、と言っても、その存在がそこで何の影響ももたない、何も変わらないということでは困る。それは、塩としての自覚をもって生きるということです。神さまに愛され、選ばれ、あがなわれ、遣わされているという自覚です。塩は少しであっても全体に影響を及ぼします。私たちが本当に主に信頼し、真実に生きていったらこの国に、この世に影響を及ぼすことができるのです。
 クリスチャンの塩気とは神の義・神の聖を表していくということです。神さまの喜ばれる歩み、罪とは一線を引いて歩んでいくということです。
 もう一つは神の愛を表していくということです。神さまに愛されている者として、神さまに愛されている者らしい歩みをしていくのです。
 聖霊によって火を通していただいて、神の前に神のものとして整えていただきたいと思います。

2 互いに和らげ

 自分が地の塩として召されているということは、自分がいつも正しくて、私以外はみんなダメだと、人を裁き、人を見下げて行くというのではありません。塩を持つとは、孤高の人として生きるということではありません。あなたがたに水一杯でも飲ませてくれた人には、神さまは必ず報いてくださる、とイエスさまはおっしゃいました。その意味では、私たちの生涯の中に一杯の水を飲ませてくれた人たちはたくさんいたはずです。そんな一人一人はあなたの味方であり、神さまに覚えられている人です。ものすごいことができなくてもいい。でも、神さまに愛されているその人に一杯の水を飲ませてあげるところから始めるのです。
 もちろん、仲良く、同化して、問題を起こさずにいくということが大事なのではない。時に本気で怒ることがあってもいい。でも、それが破壊的ではなく、愛に裏付けられている。祈りに裏付けられている。主イエスはおっしゃいました。あなたのうちに塩を持ちなさい。あなたは塩気のあるキリスト者でしょうか。あなたは平和を造り出しているでしょうか。支え合い、愛し合う交わりに生きているでしょうか。


   
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