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ヨハネ 17章1〜5節     2019年11月15日

永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。(3)

 ヨハネ十七章は、十字架を前にした主イエスの祈りで、「大祭司の祈り」と呼ばれています。この祈りは三部構成になっています。最初は、自分自身に関する祈り、次に弟子たちのための祈り、そして最後に、弟子たちを通して主イエスを信じる人たちのための祈りです。
 ヨハネによる福音書で主イエスの「栄光」と言うときには、主イエスの十字架にあらわされた神の御業を示しています。十字架は挫折と敗北の場ではなく、主イエスの勝利と神の約束の成就が宣言された場だからです。
 主イエスはその十字架によって、私たちの罪をあがない、信じるすべての者に永遠の命を与えてくださいます。その「永遠の命」とは、単にいつまでも続く命、天国に生きる命ということではなく、神と主イエス・キリストを知り、神との交わりの中に生きる命のことです。この命が与えられるときに、私たちは全く新しい歩みの中に入れられるのです。

ヨハネ 17章6〜19節     2019年11月16日

わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。(15〜16)

 主イエスの「大祭司の祈り」の二つ目の部分になります。ここは主イエスと共にいた弟子たちのための祈りです。もちろん、そこにいた弟子たちのために主イエスが持っておられたみ思いは、私たちにも向けられています。
 主イエスは弟子たちがこれから歩む人生が決して順風満帆で、何の問題も、不安もない人生だとは思っておられません。弟子たちはこの世に生きていながら、この世のものではないからです。ある意味、この世にとって主イエスの弟子たちは異物です。悪しき者は、弟子たちを堕落させ、自分たちの色に染め、同化してしまおうとするかもしれません。しかし、私たちはこの世とは違う、自分たちの異質性を失ってはいけません。
 主イエスはご自身の弟子たちがこの世の中にあっても、この世のものではないという生き方を全うするために、御言を与えて弟子たちを聖別し、そのためにご自身をささげられたのでした。

ヨハネ 17章20〜26節     2019年11月17日

父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。(21)

 主イエスは十字架につけられる前夜、この大祭司の祈りの中で、弟子たちを通してご自身を信じることになる人々のためにも祈られます。まさにそれは私たちのための祈りとも言えます。主イエスがご自身の弟子たちのためにも、また弟子たちを通して導かれようとしている人たちのためにも願っておられたのは、彼らが一つになることでした。一つになるということは決してやさしいことではありません。それは主イエスの弟子たちにとっても言えることでしたし、また現代に生きる私たちにも与えられている課題です。しかも、主イエスがここで語っておられるのは、主イエスと父なる神が一つであるように、ということなのです。
 そのことは主イエスの恵みと神の愛の下にあってはじめて可能になります。そして、信じる者たちが一つであるときに、世は主イエスが確かに天から、父の御許から遣わされて、私たちを救ってくださるお方だということを知るようになるのです。



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