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ヨハネ 3章1〜15節     2019年9月10日

そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。(14、15)

 パリサイ人のひとりで、ユダヤ人の指導者であったニコデモが夜、イエスさまのところに来ました。そんなニコデモに、主イエスは「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」とおっしゃいました。それは水のようにきよめる働きをする霊によって生まれるということです。この地上に赤ちゃんとして生まれるというだけでなく、主イエスを信じて霊的に生まれる(これを「新生」と言います)、救われるということがないと天国に入ることはできないのです。
 モーセの時代、つぶやいて火の蛇に噛まれて多くの人たちが死んだ時、主はモーセに青銅のへびを作って、それをさおにつけて掲げるようにと命じました。そして主がおっしゃったように、その青銅のへびを仰いだ人は救われました(民数二一4〜)。同じように、主イエスは十字架につけられて上げられました。そして十字架の主イエスを仰ぎ信じる人は、救われて永遠の命を得るのです。

ヨハネ 3章16〜21節     2019年9月11日

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(16)

 神さまは「この世」を愛してくださいました。それは罪を犯し、神に背いて自分勝手な歩みをしているこの世です。もちろん、神がそれを喜んでおられるということではありません。神さまは大きな痛みをもっておられます。それは神に背き続けて生きる時に、そこにあるのは滅びだからです。けれどもこの世を愛してくださった神は、この世が滅んでしまうことを望まれず、救おう、永遠の命を与えようとされました。
 「この世」とは同時に、私たち一人一人のことです。神は私たちの誰も滅びることを望まれないで救いたいと思われました。私たちを愛しておられたからです。そして私たちを愛してくださった神は、私たちが永遠の命を得るために、そのひとり子イエス・キリストを与えてくださったのです。
 私たちが永遠の命を得るため必要なことは「信じる」ということです。神は信じる人を一人残らず、確実に救ってくださるのです。

ヨハネ 3章22〜30節     2019年9月12日

花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている。彼は必ず栄え、わたしは衰える。(29〜30)

 バプテスマのヨハネが世に現れ、人々の罪を指摘し、また悔い改めを勧め、救い主をお迎えする準備をするように語った時、人々はヨハネの所に続々と集まって来ました。しかし、バプテスマのヨハネが自分はキリストではないと断言し、また、人々に主イエスを紹介し、主イエスを救い主として指し示していった時、人々はヨハネのもとを去り、主イエスのところに集まるようになりました。実際、ヨハネのところから去って主イエスの弟子となった人たちもいました。
 ある意味、バプテスマのヨハネのところに残った弟子たちはやはり寂しい思いがしたのだろうと思います。しかし、バプテスマのヨハネは自分を花婿の友人にたとえて、主イエスのもとに人々が集まるのを心から喜んだのでした。「彼は必ず栄え、わたしは衰える」・・・まさにヨハネはそれでいいのだと言います。私たちも自分に栄えをとる生き方ではなく、主イエスに栄光をお返しする生き方したいと思います。 

ヨハネ 3章31〜36節     2019年9月13日

神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。(34)

 主イエスは天の位を捨ててこの世に来てくださいました。天から来た方だから天のことを証しし、天のことを語ります。しかし、主イエスが人となってこの世に来てくださり、天のことを語っても人々は、そのあかしを受け入れませんでした。私たちは主イエスの知恵の言葉、真理の言葉を聞いても、その力強い御業を見、またしるしを見ても、信じないという決断をすることができます。どれだけ証拠を見せられても、信じる心がなかったら、それを受け入れることはできないのです。
 しかし、主イエスは聖霊に満たされて神の言葉を語ってくださいました。大切なことは主イエスに聞いて信じることです。信じる人は神の怒りの下から、永遠の命へと移されます。ただ求められているのは、御子イエスを信じることなのです。
 主イエスは神の言葉を語ってくださいました。そして神は主イエスに注がれた同じ聖霊を私たちにも豊かに注いで神の言葉を語らせてくださるのです。



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