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Tコリント 16章1〜9節     2013年12月28日

しかし五旬節までは、エペソに滞在するつもりだ。というのは、有力な働きの門がわたしのために大きく開かれているし、また敵対する者も多いからである。(8〜9) 

 パウロはこの手紙を三回目の伝道旅行の途中にエペソに滞在しながら書いています。パウロはこの後、マケドニヤに寄り、そしてコリントの方に行こうとしています。今回の旅においては、エペソに教会を建て上げ、各地の教会を励ますと共に、貧しい中にあったエルサレムのユダヤ人キリスト者に対する献金を集めるという目的がありました。パウロは異邦人とユダヤ人の間に主にある愛の交わりと一致をもたらしたいと願っていたのです。
 パウロはこの手紙を書きながら、コリント教会のことをとても心配しています。おそらく今度コリントに滞在するときには短期間ではすまないでしょう。コリント教会の抱えている多くの課題を知っていたからです。
 しかし、同時にこの時にはパウロはまだエペソにいます。五旬節までどのくらい残っていたかは定かではありませんが、大きな働きの門が大きく開かれていたからです。反対者がいないわけではありません。反対者も多かったことでしょう。しかし、主が門を開き、パウロにエペソでの宣教をゆだねておられることをパウロは知っていたのです。

Tコリント 16章10〜12節     2013年12月29日

もしテモテが着いたら、あなたがたの所で不安なしに過ごせるようにしてあげてほしい。彼はわたしと同様に、主のご用にあたっているのだから。だれも彼を軽んじてはいけない。(10〜11)

 すでに四章で触れたように、コリントのことをとても気にしていたパウロは、テモテを遣わそうとしていました。しかし同時にパウロはテモテで間に合うだろうかという一抹の不安を感じていたのでしょう。コリント教会の抱えている問題はとても複雑であり、また重いものでした。そしてパウロがテモテの信仰の姿勢を見て、信頼していたとはいえ、テモテは若いのです。そのような中で、パウロはコリントの人々に対して、テモテの生活のサポート共に、テモテがあたろうとしている牧会の働きについてコリント教会の人々の協力を要請しています。若くあっても、主の御用にあたっているテモテを軽んじてはならない・・・パウロの切なる思いが伝わってきます。
 主に選ばれ、立てられている若い働き人たちのために祈り、その働きを受け入れ、祈りをもって支えるお互いでありたいと思います。

Tコリント 16章13〜14節     2013年12月30日

目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。いっさいのことを、愛をもって行いなさい。(13〜14)

 「男らしさ」や「女らしさ」ということが分かりにくくなっている時代です。「らしさ」は時代によっても、また置かれている文化によっても大きく違ってくるものなのかもしれません。
 ただ、聖書の語る「男らしさ」はどれだけ腕力が強いかではなく、また論理的な思考ができるかということでもありません。男性に求められているのは、信仰と愛においてリーダーシップをとって仕えることです。どんな困難な時代にあっても、目を覚まして主に信頼して生きることです。強さとは、能力があり、自信があるということではありません。強さは、私たちが信じる主から来ます。
 また愛とは決してやさしく、ソフトで、弱々しいものではありません。すべてのことを愛をもって行うということはとても困難なことです。そこには何の裏表もありません。もちろん、女性にもこのような信仰や愛はとても大切です。しかし、同時に、男性にまずこの部分で模範となって欲しいというのがパウロの願いであり、また主が男性に願っておられることでもあると思います。

Tコリント 16章15〜18節     2013年12月31日

彼らはあなたがたの足りない所を満たし、わたしの心とあなたがたの心とを、安らかにしてくれた。(17〜18)

 ステパナとポルトナトとアカイコはエペソにいるパウロのところに来て、コリント教会の状況について報告すると共に、パウロのところに、信仰上の、また牧会上・実際生活上の様々な問題に関する質問を持って来た人々だったと思われます。
 そして、彼らはそれだけでなく、しばらくエペソに滞在し、パウロの働きを助けたのでしょう。そのことによって、パウロの心は慰められました。様々な問題を抱え、非常に心配なコリントの教会ではありますが、同時に、パウロの働きによって信仰に入り、そして忠実に信仰生活を守っている人たちがいたからです。ひとりの人が救われ、それだけでなく、主の恵みの中にあって共に主に仕える者に変えられているということはパウロにとって大きな励ましであったに違いありません。しかもそれは決して指導者として整えられているという以上に、自分の体を動かし、具体的に教会に仕え、人々に仕える姿勢がそこにはあったのです。 

Tコリント 16章19〜24節     2014年1月1日

もし主を愛さない者があれば、のろわれよ。マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)。(22)  

 アクラとプリスカは、パウロが第二次伝道旅行中に初めてコリントに立ち寄った時に、不安の中にいたパウロを支えた夫婦です。その後、この二人はパウロの伝道旅行に加わり、コリントを後にしていくのですが、この夫婦の名前はコリント教会の人々にとっても非常に親しみを感じるものだったことでしょう。彼らもまたコリント教会の人々の顔を思い浮かべながらお祈りをしてくれていたはずです。
 パウロは最後に筆記者の手からペンを受け取って直筆で挨拶を書きます。コリントの教会の抱える多くの問題の中にあって、そのすべてがこの一言を軸にしてきっと解決していく・・・それは主を愛する、ということです。逆に、もし主を愛するということが欠けていたら・・・パウロは「呪われよ」と厳しい口調で語ります。
 マラナタ!「主よ、来たりませ」、それは主を愛する人々にとっては希望の叫びですが、主を愛することをしない人たちには裁きの宣言でもあります。私たちはこの一年、本当に主を愛して歩んでいきたいと思います。 



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