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Tコリント 2章1〜5節     2013年11月8日

わたしも・・・神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心した・・・(1〜2)

 パウロは、第二次伝道旅行の時、初めてコリントに福音を携えていきました。しかし、彼がコリントに言ったときには「弱くかつ恐れ、ひどく不安であった」と言います。実はパウロはそれまでのマケドニヤ伝道でも多くの反対者たちに出会い、迫害にあって逃げるようにして次の町に移っていました。そしてコリントに行ったときには、パウロはひとりでした。パウロは同行者たちを、新しい教会を指導するためにしばらく前の町々に残らせていたからです。
 しかし、それ以上にパウロの不安の背景にはコリントの前に訪ねたアテネ伝道の失敗があったのではないかと言われています。パウロは知恵の町アテネで、非常に哲学的な説教をしたのですが、人々は彼の話を受け入れなかったのです。そのような中でパウロは哲学や知恵の言葉ではなく、十字架につけられたキリストに集中していくのです。私たちは何を伝えようとしているでしょうか。

Tコリント 2章6〜16節     2013年11月9日

目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、
人の心に思い浮びもしなかったことを、
神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた (9) 

 神は、私たちのために、見たことも聞いたこともないようなことをしてくださいます。私たちはいろいろな問題に直面するときに、こうしようかああしようかと思案します。しかし、神のなさることは私たちの知恵をはるかに超えています。私たちが思いもしなかったことを、神は私たちのためにしてくださるのです。
 けれども、この聖書の箇所で、パウロが直接語っていることは、主イエスの十字架による救いのことです。そんなことを誰が考えたでしょうか、だれが想像できたでしょうか。神のひとり子が人になってこの世に来て、私たちの罪を身代りに負って私たちのために救いの道を開いてくださった、私たちは自分のわざによってではなく、ただ信じることによって救われる・・・それだけではなく、御霊を注いで、神の思い、キリストの思いを知る者とされている・・・そのようなことを誰が想像できたでしょうか。神はそのようなことをしてくださったのです。



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