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創世記 25章1〜18節     2015年3月13日

アブラハムが死んだ後、神はその子イサクを祝福された(11)

 サラの死後、アブラハムはケトラと再婚し、何人かの子どもが与えられていますが、アブラハムは彼らを東の国に送り出していきます。アブラハムに与えられた祝福の約束を受け継ぐのは約束の子イサクだったからです。アブラハムが死んだとき、彼はイサクとイシマエルによってサラの隣りに葬られます。
 主はアブラハムの生涯を祝福してくださいました。彼は確かに持ち物は豊かだったかも知れません。子どもも与えられました。彼は見える限りの土地を与えるという約束を与えられていました。ただ彼が実際にその生涯中に自分のものとした土地は自分たちの墓地にする畑だけでした。しかし、彼は、神の約束を自分の力や束略で実現しようとはしません。その土地の人々と平和に暮らしながら、ただ、神の約束に信頼して息を引き取るのです。そして、この神の祝福はその子イサクに受け継がれていきます。神はアブラハムを祝福されたように、その子イサクを祝福されたのでした。

創世記 25章19〜21節    2015年3月14日

イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。(21)

 イサクは四十歳でリベカと結婚しましたが、二十年近く子どもが与えられませんでした。しかし、イサクはそんな妻リベカのために「主に祈り願った」のでした。夫婦の歩みの中で、夫が妻のために、そして妻が夫のために祈り、また共に心を合わせて祈ることはとても大切なことです。教会ではしばしば、「祈り」を女性の得意分野ととらえる向きもありますが、同時に、夫には妻のために、また家族のために祈る大切な働きが委ねられていることを覚えていたいと思います。
 父アブラハムは何度も自覚的な信仰の決断を迫られ、神に従う歩みをすることを求められました。イサクはそのような父アブラハムを見ながら、恵まれた中で、両親の愛を十分に受けて育てられました。ここで、ある意味、神はイサクが祈るのを待っておられたとも言えるかも知れません。イサクに子どもが生まれたのはアブラハムの存命中のことです。しかし、ここではイサクが祈らなければならなかったのです。

創世記 25章22〜28節    2015年3月15日

彼女は行って主に尋ねた。主は彼女に言われた、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」。(24〜25)

 主はイサクの願いを聞かれ、妻リベカはみごもります。与えられたのは双子でした。その子らはリベカの胎内で押し合います。あまりにも胎児たちがお腹の中で激しく押し合うので、リベカは行って主に尋ねます。主は、リベカに答えて、胎内にいる双子が二つの民、二つの国民になることを告げられます。そして同時に、神はリベカに「兄は弟に仕える」とおっしゃり、弟の方が祝福を受け継いでいくことを示されたのでした。
 生まれてきたのは赤くて全身毛衣のようなエサウと、エサウのかかとをつかんで生まれたヤコブでした。エサウは巧みな狩猟者・野の人となりますが、ヤコブは穏やかでいつも天幕にいるような人でした。父イサクは長男エサウを愛します。彼がしとめてくる鹿の肉が好きだったからです。しかし、リベカはヤコブを愛します。それは単に、ヤコブがいつも家にいて、リベカのそばにいたというだけではなかったでしょう。リベカは神の語られた言葉を覚えていたのです。

創世記 25章29〜34節    2015年3月16日

このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。(34)

 ヤコブは家でレンズ豆のあつものを煮ていました。そんな時、エサウが狩りから帰ってきます。エサウは疲れ、またお腹を減らしていましたから、ヤコブが料理をしているのを見ると我慢ができません。
 しかし、ヤコブは兄エサウに、この煮物が欲しければ、あなたの長子の特権を売りなさい、と言います。この当時、長子は財産の三分の二を相続するなど、多くの特権を与えられていました。それは非常に大きな特権であり、また責任を伴うものでした。
 ところがエサウは「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」と言い、ヤコブに言われるままに、誓いまでして、長子の特権を一杯の豆の煮物で売ってしまったのです。
 豆の煮物に対して、「長子の特権を」と求めるヤコブもヤコブですが、それ以上に、聖書は「エサウは長子の特権を軽んじた」と言います。私たちは主から大きな祝福・特権をいただいています。それはどんな富や財産とも比較にならないほど高価なものです。目先の楽しみ・喜び・豊かさなどで、神の祝福を失ってはいけません。



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