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創世記 18章1〜8節     2015年2月23日

目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、言った、「わが主よ、・・・どうぞしもべを通り過ごさないでください。(2〜3)

 いつものようにアブラハムが自分の天幕の入り口に座っていると、昼の暑い頃、三人の人たちが向こうに立っています。アブラハムはすぐに立ち上がって走って行って彼らを迎えました。今でもイスラエル周辺の荒野には遊牧民が住んでいますが、彼らは旅人をもてなし、自分の天幕に入った客人を命がけで守ると言います。また普通は客人の前に主人の妻は姿を表しません。裏で料理はしていたでしょうけれど、客人をもてなすのはその天幕の主人の務めでした。
 アブラハムは、通り過ぎないで、木の下で休み、食事をしていってほしいと彼らを引き留めます。そして、彼はパンを焼き、柔らかな良い子牛をほふって客人たちをもてなしました。アブラハムにとっては当たり前のことだったかもしれません。しかし、そのようにしてアブラハムは主なるお方を最高のもてなしをもってもてなしたのでした。

創世記 18章9〜15節    2015年2月24日

主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう。(14)

 アブラハムがもてなした三人の客人の一人がアブラハムに、来年の春にはサラには男の子が生まれていると告げます。後ろの天幕の入り口で、話を聞いていたサラは思わず笑います。あり得ない話です。もう自分も夫アブラハムも老人です。しかし、主はアブラハムにおっしゃいます。サラはなぜ笑うのか、主にとって不可能なことがあるだろうか。主にとって不可能なことはないのです。
 私たちは自分の知恵や経験・常識などにとらわれて、時に、神の言葉を信仰をもって受け止めることができません。信仰の世界と現実の世界を分けて、現実の世界に信仰を働かせることを、愚かなことと、笑い飛ばすのです。だからこそ神は、全能の神として、私たちの前にご自身をあらわしておられます。サラは「笑っていません」と言いますが、神はサラのすべてを知っておられました。サラは、笑い事ではない、本当に、主が語られたことを成就しようとしておられることを覚えて、主の御言の前にもう一度出直さなければなりませんでした。

創世記 18章16〜33節     2015年2月25日

時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか」。(17〜18)

 三人の旅人の二人は御使いであり、もう一人は主ご自身でした。御使いたちは、アブラハムのもとを立って、ソドムの方に向かいます。主とアブラハムがそこに残ったのでした。主はソドムとゴモラをその罪と汚れのゆえに滅ぼそうとしておられました。主は、ご自身のなさろうとすることをアブラハムに黙っていてよいだろうかと語り、ご自身のなさろうとすることをアブラハムに明かされたのでした。それはアブラハムが地のすべての民への祝福となるべき存在だったからです。アブラハムはソドムに住む甥ロトと、その家族のことを思い、ソドムの人々のためにとりなしの祈りをするのですが、おそらく神はアブラハムがそのように祈ることを知っておられたのでしょう。私たちもまた人々のためにとりなす者として召され、期待されています。アブラハムは神ににじり寄り、詰め寄るように祈るのですが、ソドムの町にはわずか十人の正しい者もいませんでした。



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