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創世記 4章1〜7節     2015年1月24日

日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。(3〜4)

 エバは身ごもってカインとアベルを産みます。カインを産んだ時には「わたしは主によって、ひとりの人を得た」と言います。カインには「わたしは得た」という意味があります。ここにはエバの喜びと自信が感じられます。しかし、アベルの意味は、「空虚さ」です。カインが生まれてからアベルが生まれるまでに、エバはすでにとても大きな苦しみを経験していたのかもしれません。
 さてカインは土を耕す者、アベルは羊を飼う者となります。そして二人はそれぞれ、主に感謝の供え物を持って来ます。カインは地の産物を、アベルは群れのういごと肥えたものを主にささげたのでした。主が喜ばれたのはアベルの供え物でした。アベルは最善のものをささげたのだとか、アベルの供え物は血が流されるものだったから受け入れられたのだとか言いますが、確定はできません。しかし、ここに「アベルとその供え物」とあることから言うと、主は供え物と共に、供えた人をごらんになり、人を受け入れられたということがわかります。主はささげたアベルを喜ばれたのです。

創世記 4章8〜16節     2015年1月25日

主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。(15)

 カインは自分の供え物が受け入れられなかったときに、非常に憤り、アベルを逆恨みして、彼を野原に呼び出して殺してしまいます。世界最初の殺人が最初に造られたアダムとエバの子どもたちの間で起こったのは、非常に悲しく、また厳粛なことです。主はカインが憤っていたときに、カインが罪に陥らないように声をかけておられましたが、彼は自分の憤りを治めることができませんでした。
 主はカインに「弟アベルはどこにいますか」と問われます。もちろん、ここでも主はアベルがどうなったかを全部知っておられます。しかし、ここでも主はカインに悔い改めのチャンスを与えられたのです。
 カインはまたその地を離れなければなりませんでした。カインは放浪者となることを非常に恐れます。しかし、神はひとつのしるしを与え、彼を守られたのでした。どこまでもあわれみに富み、情け深い主のお姿を見る思いがします。

創世記 4章17〜24節     2015年1月26日

わたしは受ける傷のために、人を殺し、
受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。
カインのための復讐が七倍ならば、
レメクのための復讐は七十七倍。(23〜24)

 カインは主の前を去って、エデンの東の地に移り住み、そこに町を建てます。そして、そこで妻をめとり、子を産んでいきます。何代か後に生まれたのがレメクです。彼の子らは、家畜を飼う者の先祖となり、また音楽家の先祖となります。また、その子の一人は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となります。レメクが非常に富み、また権力を握っていったことを想像することができます。おそらく彼は当時の社会の中で、経済的にも軍事的にもとても大きな力をもったことでしょう。
 彼は、カインを殺す者は七倍の復讐を受ける、とある言葉を受けて、レメクのための復讐は七十七倍と豪語します。カインの怒りはその子孫にも受け継がれていったのでした。
 後に主イエスは、復讐するのではなく、七度を七十倍するまで赦すようにと教えられました。怒りや復讐を超えた力を主イエスは持っておられたのです。

創世記 4章25〜26節     2015年1月27日

セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。(26)

 アダムとエバの夫婦にとって、アベルを失い、またカインを失ったということはどんなに大きな悲しみだったことでしょうか。また、これを食べたら死ぬ、と言われていた主の言葉が、このような形で、自分たちの子どもに成就してしまったことは、どれだけ大きな心の痛みとなっただろうかと思わずにはいられません。神に造られた人間は、人の死の現実を殺人という形で、また自分たちの息子の死という形で経験しなければならなかったのです。けれども、そんなアダムとエバをも主はあわれんで彼らに第三子を与えられました。セツです。そして、セツも結婚し、子を産みます。アダムたちにとっては孫になります。エノスです。
 そして、このエノスの誕生は、エノスを取り巻く人々にもある意味大きな転機をもたらします。人々は主の名を呼ぶようになったのでした。罪を犯して、死を世界にもたらしてしまった人間が、再び主を見上げるようになっていきます。そして、神もまた主の名を呼ぶ民のために救い主を備えておられたのです。



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