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Uコリント 3章1〜3節     2014年1月10日

そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。(3)

 パウロは十二弟子ではありませんでした。しかし、そのようなパウロが異邦人への使徒と自認し、異邦人教会を行き巡りながら福音を語り、教会を指導している姿を見ながら、パウロを批判する人々は、パウロにはそのような権威はない、パウロはただ自己推薦しているだけだ、と悪口を言っていたことでしょう。
 パウロの時代にも、大概は、自分よりも年長であり、地位の高い人に推薦状を書いてもらって活動するのが普通でした。実際、主イエスを信じる前のパウロもそのような人の権威・人からの推薦状をとても大切にしていました。
 しかし、ここでパウロはどんな推薦状にまさってコリント教会の人々の存在が人々へのパウロの推薦状だと語ります。それは墨で書かれてはいませんが、すべての人に読まれており、キリストによる救いを証しする手紙なのです。

Uコリント 3章4〜11節     2014年1月11日

神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。(6) 

 最初神がイスラエルの民に律法を与えられた時、神はモーセに対して語られ、その語られた言葉は文字によって、石の板に書かれました。その務めについたモーセの顔は神の栄光を映して輝き、人々はモーセの顔の輝きを恐れて彼に近づくことができませんでした。しかし、そのモーセの顔の輝きはまたしばらくすると消えていきました。そしてモーセによって与えられた律法は、私たちが罪ある者であることをあらわし、その律法に従うことのできない私たちに死を宣告したのでした。
 しかし、神は私たちに力を与えてモーセにまさる大切な使命を与えてくださいました。それは新しい契約に仕える務めであり、キリストによってもたらされた義と、救いとを宣告する務めです。それはいのちを与える務めであり、モーセに与えられた努めよりもはるかにまさったもの、いつまでも永続する祝福・栄光にあずかる務めだったのです。

Uコリント 3章12〜18節     2014年1月12日

わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。(18)

 古い律法に仕えていたモーセでさえ、神の栄光の前にとどまることによって、その顔が輝きました。そして、その輝きがまぶしかったのと、その輝きが消えていくのを見られたくないということがあって、モーセは顔おおいをかけました。しかし、新しい契約に仕える私たちは顔おおいをかける必要はありません。かえって顔おおいを取り除いていただいて、主の栄光を鏡に映すように見つつ歩んでいきます。主の栄光を見つめて歩んで行く人は、栄光から栄光へと導かれて行きます。そのゴールは「主と同じ姿に」ということです。
 それは、決して私たちの決心やがんばり、努力によることではありません。そうであったら。私たちは決して、そのような救いにあずかることはできないでしょう。聖書は言います。「これは霊なる主の働きによる」。まさに、私たちが主を見つめて歩んでいくときに、主がそのことを私たちの生涯のうちに成し遂げてくださるのです。 



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