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Tテモテ 3章1〜7節     2014年6月12日

「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」・・・監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ・・・ (1〜2)

 次にパウロは教会の職制について語ります。「職制」とは、教会の中で特別な賜物を与えられ、使命を与えられて、教会の秩序を守り、教会がゆだねられている福音宣教とキリストの体を立て上げる働きのために、組織のリーダーとして立てられている様々な職務の総称です。牧師、長老、監督、執事などがあります。これらの人々は、組織のリーダーとして特別な権限と責任をゆだねられ、立てられています。
 しかし、ここで求められているのは、与えられている権威を振り回すのではなく、自らがその生き方を通して、信仰の姿勢を明らかにしていくということです。教会の中だけでなく、家庭においても、社会の中でも、模範となるような生き方をすることが求められています。その意味で、ぜひ、教団の役員、教会の牧師・役員のためにお祈りいただくと共に、「自分は監督ではないからいいや」ということではなく、自らも主の前に整えられ、主が託されている務めに励みたいと思います。

Tテモテ 3章8〜13節     2014年6月13日

執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。 (8〜9)

 「執事」とは使徒行伝六章で選ばれた七人のリーダーたちが始まりとされています。「執事(ディアコノス)」
には「仕える者」という意味がありますが、もともと使徒六章においては、食事の配給に携わり、人々の不満を聞いて対処・対応するのがその務めでした。ただ同時に、この執事たちは単に教会の雑用だけをしていたのではなく、しもべとして仕えながら、同時に、説教をしたり、弟子たちを教えたりということにも関わっていたのでした。そして実際、教会の歴史の中で最初の殉教者となったのはエルサレム教会の七人の執事のひとりだったステパノでした。今の教会でいうと、教会の役員ということになるでしょうか。
 彼らもまた信仰の奥義を保っていると共に、特にその語ることにおける姿勢が問われているように思います。「二枚舌」「そしり」は執事には似つかわしくはありませんし、自らを制することのできる人であることが求められているのです。

Tテモテ 3章14〜16節     2014年6月14日

万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。 (15)

 パウロはエペソにいるテモテを訪ねたいと思っています。しかし、この手紙を書いているのは、テモテを訪ねる計画に時間がかかることも考えられたからです。パウロはテモテに、神の家、すなわち教会でどのように生活すべきかを知らせたかったのです。ここで「神の家でいかに生活すべきか」と言ったとき、それは単に日曜日に教会に集まった時にどのように歩み、教会を運営すべきかということではありません。「教会生活」という言葉においては、日曜日に教会という場所でどう過ごすかということだけではなく、教会に連なる私たちの一週間の歩みが問われています。
 教会は共に主イエスを告白し、主イエスをあがめながら歩んでいます。このお方は確かに肉をとってこの地上を歩み、あがないのわざを全うして、栄光のうちに高く上げられました。私たちはこのお方を信じることによって、すばらしい奥義を知る者たちとされました。教会はまさにこの主イエスを仰ぎ、この真理に立っていくのです。



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