朝ごとに新しく
哀歌3章21〜23節
主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。(22)
「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい」。この聖書の言葉が「哀歌」の中にあります。
「哀歌」は,イスラエルがバビロンによって滅ぼされ、多くの民が殺され、また建物も城壁も破壊され、民は捕囚の民として引いて行かれた、そのような中で歌われた悲しみの歌です。苦しみ、悩みがあり、笑いものにされている。栄光は過ぎ去り、悲しみのうちにうなだれている・・・「しかし」とここで、この哀歌の作者は言います。わたしにはそれでもなおのぞみがあると言うのです。この作者は何を思い起こしているのでしょうか。
1 主のいつくしみとあわれみ
いつくしみとは神がその約束に対してどこまでも真実でいてくださるということです。神さまは決して裏切らない・見捨てない、ということです。
あわれみ、この言葉は「胎」「子宮」という意味のある言葉ですが、それは主が私たちの苦しみ・悲しみをわかってくださり、救ってくださるということです。私たちが救われたのは,神様の大きなあわれみによるのです。
2 朝ごとに新しい恵み
神さまはわたしたちに朝ごとに恵みを注いでくださいます。「朝ごとに」・・・暗い夜が終わって、朝が来ます。そして新しい朝を迎えて、私たちは目覚め、仕事を始めます。その新しい一日の始まりにおいて、神さまは私たちに新しく近づいてくださいます。その真実は大きい。
私たちは朝をどのように迎え、どのようにスタートするでしょうか。神さま、あなたがくださったこの新しい一日を感謝しますと始めるのです。この朝は「新しい」一日です。確かに昨日も神さまは私たちを祝福してくださったでしょう。でも、神さまは新しく恵みを注いでくださるのです。
私たちは日々、神様の大きな真実を仰ぎます。ああ、神さまはこんなに真実なお方なのだということを再認識するのです。
これ以上ない悲しみの中で、作者は「しかし」と顔を主に向けました。そして、本当に主は、イスラエルを回復させてくださったのです。新しい年になりました。朝ごとに新しい恵みを備えていてくださる主に信頼して歩み出しましょう。
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