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マタイ 26章1〜13節     2019年1月5日

ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。(7)

 祭司長たちや民の長老たちは、主イエスを捕らえて殺してしまおうと相談していました。彼らは自分たちは神を愛し、神に仕えていると自負していました。しかし、そんな彼らが神から遣わされたお方であり、神の子である主イエスを殺すということにおいて中心的な役割を担っていくとは何とも皮肉であり、また人間の罪の恐ろしさを覚えさせられます。
 けれども同じ頃、主イエスが重い皮膚病の人シモンの家に呼ばれてそこで食事の席についておられた時、ひとりの女が高価な香油の入っている石膏のつぼを持ってきて、その香油をイエスさまの頭に注ぎかけました。弟子たちでさえ、「むだ使い」と言ってこの女を非難しました。しかし、主イエスは、「わたしによい事をしてくれた」とこの女を受けとめてくださったのでした。この女の行為は主イエスに対するせいいっぱいの愛でした。そして主もまた私たちのために、「もったいない」「むだ使い」としか思えないことをしてくださいました。神の子が私たちのためにその命を捨ててくださったのです。

マタイ 26章14〜27節     2019年1月6日

イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。(25)

 イスカリオテのユダは主イエスが選ばれた十二弟子のひとりでしたが銀貨三十枚で主イエスを裏切ろうとしていました。
 主イエスはそのようなことも全部ご存知でありながら、弟子たちと一緒に過越の食事をしようとしておられました。主イエスが十字架につけられる時には弟子たちは皆、自分を捨てて逃げていく・・・主イエスはそれもご存知でした。そして、主イエスを信じる機会を与えられながら、それを拒み、主イエスを売り渡そうとしているユダのことは特に大きな心の痛みと感じておられたことでしょう。もちろん、主イエスにはユダを縛り上げて、自分が十字架につけられないようにすることもできたはずです。ただ主イエスは彼が自分から悔い改めることを待っておられたのでしょう。「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」と主はおっしゃり、また「まさか、わたしではないでしょう」と尋ねる彼に、「いや、あなただ」とおっしゃいました。ユダにぎりぎりまで悔い改めるチャンスを開いておられたのです。

マタイ 26章26〜29節     2019年1月7日

また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。(27〜28)

 主イエスが十字架につけられる前の夜に、聖餐を制定された聖書の記事です。主イエスはパンをとり、祝福してこれをさき、弟子たちに与え、「これはわたしのからだ」だとおっしゃいました。また杯を取り、感謝してそれを弟子たちに与え、「これはわたしの契約の血」だとおっしゃいました。まさに翌日には主は十字架につけられて死のうとしておられました。確かに祭司長や民の長老たちがそれを計画し、ユダがそれを手引きし、ローマの総督ピラトがそれを許可したかもしれません。しかし、十字架でさかれようとしている主イエスの体、流されようとしているその血は、主イエスが自ら私たちに与えようとしておられたものでした。その十字架の苦しみと、そこで流された血潮によって、神は私たちに罪のゆるしを与え、新しい契約の中に生きる者としてくださいました。聖餐式にあずかるたびに、私たちは今も、自分が生かされているこの恵みの大きさを再確認するのです。

マタイ 26章30〜35節     2019年1月8日

ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。(35)

 主イエスは弟子たちに「今夜、あなたがたはみな、わたしにつまづく」とおっしゃいました。しかしペテロは、「みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と答えました。主イエスは「鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言う」とおっしゃいます。ペテロは怒りさえ覚えたかもしれません。いくらなんでも、イエスさまは自分のことを全然分かってくださっていない、自分がそんな軟弱な人間だと思っておられるのだろうか・・・。しかし、分かっていなかったのはペテロの方でした。自分がどんなに罪深く、弱く、頼りないものであるかを彼は知らなかったのです。自分が徹頭徹尾、神のあわれみと恵み、その力を必要としている存在であるこということを、この数時間後にはペテロはいやというほど知らされることになります。もちろん、ペテロだけではありません。他の弟子たちも同じでした。まさにそんなにあわれみを必要としている罪深い私たちのために主は救いの道を開いてくださったのです。

マタイ 26章36〜46節     2019年1月9日

「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。(4)

 イエスさまは弟子たちを連れて、ゲッセマネの園に行かれました。時期としてはちょうど満月が近い頃で、エルサレムから谷を挟んで東側にあるゲッセマネの園にいたら、月に照らされたエルサレムの神殿や町を見渡すことができたことでしょう。主イエスは悩んでおられました。悲しみのあまり死にそうになっておられました。主イエスにとって十字架は決して軽いことではありませんでした。父なる神との親しい交わりの中にいつもおられた主イエスだけが、ある意味、罪の恐ろしさ、罪の罰を負うことの本当の意味、また神に呪われ、捨てられるということの絶望を理解できたのでしょう。主イエスは十字架以外に他の道があるのでしたら、他の道を選ばせてほしいとさえ思われました。しかし同時に、主は「わたしの思いではなく、みこころのままに」と祈られたのでした。主イエスはこのゲッセマネの園で祈り抜いて勝利されたのです。

マタイ 26章47〜56節     2019年1月10日

わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか。(53〜54)

 イスカリオテのユダは主イエスがゲッセマネの園でお祈りしようとしておられたことを知っていました。そしてイエスを捕らえようとして集まった一団を先導しました。夜でもあり、またテレビや写真のない時代でしたから、確実に主イエスを捕らえるために、ユダは主イエスに接吻して、捕らえるべき人物を特定したのです。
 主イエスは、そんなユダに対しても「友よ」と呼びかけられます。主は最後までユダに愛を注ぎ、その悔い改めを待っておられました。
 ひとりの弟子が剣を抜いて大祭司の僕の片耳を切り落とします。しかし、主イエスは彼をそこでとどめ、「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と語られました。実際、主イエスはその気になれば天の使いたち十二軍団(一軍団は六千人)をも呼び寄せることができました。しかし、主はそれ以上に御言葉の成就を願っておられました。まさに主イエスは御言葉の成就のために命をかけられたのです。

マタイ 26章57〜68節     2019年1月11日

大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか・・・」。イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。・・・あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。(63〜64)

 夜のうちに大祭司カヤパの邸宅に全議会が招集されます。主イエスを死刑にすることを決めていた彼らにとって、過越の祭の安息日(金曜日没から)までにすべてを成し終えてしまうためにはこれがギリギリのタイミングだったのでしょう。神に仕える聖なる者たちが偽証を立てる者たちを求めます。偽証は十戒で禁じられています。しかし、自分が偽証するのでなければそれでよかったのです。まさになりふり構わずだったと言えます。
 けれどもなかなか決定的な証拠をそろえることができ中で業を切らした大祭司が立ち上がってストレートに尋ねます。「あなたは神のキリストなのか」。主イエスはその問いに対して真っ正面から答えられます。「あなたの言うとおりである」。主イエスはこのように、自らが神の子であることを証言されました。大祭司はこの主イエスの言葉を「神を汚した」と断罪したのでした。主イエスは自分が救い主だ、神の子だと証言しておられます。私たちの応答は、嘘だと主イエスを断罪し抹殺するか、主イエスを受け入れるかどちらかなのです。

マタイ 26章69〜75節     2019年1月12日

ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。(75)

 大祭司のしもべの耳を切り落としたのは、ヨハネによる福音書によれば、シモン・ペテロでした。ペテロは一旦は逃げるのですが、遠くからイエスに着いていき、大祭司の中庭に潜入することに成功します。そしてペテロは何食わぬ顔をして下役たちと一緒に座っていました。その時、ひとりの女中がペテロに近づいて、ペテロに声をかけます。「あなたはあのイエスと一緒だった」。ペテロはみんなの前でそれを打ち消します。ペテロはその後も「そんな人は知らない」「その人のことは何も知らない」と主を否定し、最後は激しく誓い始めたのでした。そして、そのタイミングで鶏が鳴きました。鶏の声を聞いたときに、ペテロは、主のお言葉を思い起こします。自分だけは絶対主イエスを裏切ることはないという自信がありました。そうイエスさまにも断言しました。しかし、主イエスは知っておられました。大きな挫折感と自責の念の中にあって、それを知っていてくださった主イエスのお言葉とその姿がペテロを支えたのでしょう。



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