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マタイ 8章1〜4節     2018年10月15日

イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、重い皮膚病は直ちにきよめられた。(3)

 イエスさまが山から下りてこられたとき、イエスさまの周りには非常に多くの群衆がついて来ていました。主イエスの教えの中に他の宗教家たちの中にはなかった真実さを感じたのかもしれません。また主イエスの力ある業を直接見たいという思いがあったのかもしれません。
 ところが人々が寒気を感じるような出来事が起こりました。重い皮膚病に苦しむ男がイエスさまのところに近づいてきたのです。この病気は宗教的な汚れを意味する病とされ、この病にかかると町の中に住むことができず、町の外に隔離されてしまいました。彼の生涯はこの重い皮膚病のために本当に悲しいものになっていました。けれどもこの男はイエスさまのことを聞いた時に、この方なら私の病を癒し、きよめることができると信じたのです。「主よ、あなたが望まれるなら、わたしはきよくしていただくことができるのですが」。主イエスは「わたしはそれを望んでいる。きよくなれ」とおっしゃいました。彼は直ちにきよめられたのでした。

マタイ 8章5〜13節     2018年10月16日

ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。(8)

 カペナウムにローマの軍隊の百人隊長がいました。彼はローマ人でした。けれどもその彼が主イエスのところにやってきて、中風で苦しむ自分のしもべをいやしてほしいとお願いするのでした。主イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」とおっしゃったのですが、彼はそれを固辞します。彼は異邦人の自分の家にユダヤ人の主イエスが来ると、後々、主イエスが大きなトラブルに巻き込まれることを分かっておられたのでしょう。
 ただ彼は主イエスに言います。「ただお言葉をください。そうすればしもべはなおります」。彼は主イエスの言葉の権威を信じたのです。主イエスが命じられれば、病だろうが悪霊だろうが従うはずだ、主イエスが語られたら、主イエスの言葉には権威があるから、必ずそのとおりになる、と彼は信じたのです。主イエスは彼の信仰をとても喜ばれました。
 私たちも主イエスの言葉の権威を信じたいと思います。その御言は単に何かのありがたい教えや、いろいろな宗教的なアドバイスまたは守るべき規程ではありません。主イエスの言葉には権威と力がありました。それは信じる人のうちに働いてその人を生かしていくのです。

マタイ 8章14〜17節     2018年10月17日

そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。(15)

 ペテロは主イエスに召し出されて、弟子になりました。漁師だったペテロにとって、主イエスの弟子となるという決断は全く新しい生涯への出発でした。そんなペテロの背中を押したのは「人間をとる漁師にしてあげよう」という主イエスの呼びかけだっただろうと思います。ただ同時に、ペテロが魚をとる漁師を辞めて、主イエスの弟子としての生涯を始めたとき、そのことはペテロの妻やその親など家族にとっては、主イエスが特別な人であることを知りつつも、戸惑いや不安を引き起こすことがらであったことでしょう。
 加えて、ペテロの義母は熱病で床についていました。この時代の熱病はまさに死を予感させるものであったことでしょう。しかし、主イエスはペテロのしゅうとめに近づいてその手に触れ、彼女をいやしてくださいました。ペテロの家族にとってこのいやしの奇跡はとんなに大きな慰めだったことだろうかと思います。ペテロのしゅうとめはすぐに主イエスをもてなしました。主イエスに出会い、その救いを経験すると、主イエスに仕えて生きるようになるのです。

マタイ 8章18〜22節     2018年10月18日

ひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」 (19,20)

 主イエスの教えを聞き、その力ある業を見て、人々は次々に主イエスのもとに集まってきました。バプテスマのヨハネがメシヤの到来が近いことを語っていたこともあり、人々の期待が高まっていたのでしょう。律法学者の中にも、主イエスに師事したいと願い出る者がいたようです。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」という告白は献身とはどういうことかを示す、とてもすばらしい告白です。しかし、主イエスは、自分に従う道ということが、どんなに厳しい道であるかということを示されたのでした。王の王、主の主であられるイエスが私たちのために「枕するところもない」という生涯を送ってくださったのです。そして、その主に従う道は時に、家族の死に目にも会えないことがあるほどかもしれません。弟子の道にはそのような厳しい側面があることを承知しつつ、それでも主イエスは私たちが主に従って行くことを待ち望み、私たちを招いていてくださいます。

マタイ 8章23〜27節     2018年10月19日

するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。(26)

 主イエスは舟に乗って向こう岸へと向かわれます。人々がひっきりなしに集まり、また押し寄せてくる中で、イエスさまも弟子たちも休みを必要としていたでしょうし、またイエスさまはしばしば弟子たちだけとの時を持とうとされたのです。舟が岸を離れると、ほどなくして、主イエスは眠ってしまわれました。
 ところがガリラヤ湖が急に荒れてきたのです。主イエスの弟子たちの中にはガリラヤ湖を知り尽くした漁師たちが何人もいました。嵐だって何回も経験していたことでしょう。しかし、その漁師たちが怖くて叫び声をあげていたほどです。
 主イエスは叫ぶ弟子たちに声をかけられます。「なぜ疑うのか、信仰の薄い者たちよ」とおっしゃり、風と海とをお叱りになったのでした。ただちに嵐はおさまってしまいました。主は私たちの心の嵐をも静めてくださいます。 

マタイ 8章28〜34節     2018年10月20日

すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。(34)

 嵐の後、主イエスと弟子たちがたどり着いたのは、ガダラ人の地でした。その時、墓場から二人の男が出て来ました。彼らは悪霊にとりつかれていました。彼らは手に負えない乱暴者で、誰も彼らを押さえつけたり、縛り上げたりすることはできません。人々は恐れて近くの道を通らないほどでした。
 この男たちの中に入り込んでいた悪霊は、主イエスによって最終的な裁きが自分たちにもたらされることを恐れて、豚の群れの中に入りたいと許しを求めました。主イエスが許されると、悪霊たちは豚の中に入り、豚の群れ全体がなだれを打ってがけの上からガリラヤ湖に飛び込んでしまったのでした。
 豚飼いたちの話を聞いて町の人々は、主イエスのこの地方から去ってくださるようにと申し出て、主イエスを追い出します。確かにあの悪霊を追い出された二人はいいけれど、自分にとってはあの二人が正気になることよりも、豚の方が大切だ・・・と思ったのでしょうね。



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