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イザヤ 17章1〜14節    2018年1月2日

その日、人々はその造り主を仰ぎのぞみ、イスラエルの聖者に目をとめ、おのれの手のわざである祭壇を仰ぎのぞまず、おのれの指が造ったアシラ像と香の祭壇とに目をとめない。 (7〜8)

 この十七章ではダマスコと北イスラエル王国についての主の言葉が語られます。ダマスコはスリヤ(今のシリヤ)、エフライムは北イスラエル王国の中核になった部族でした。スリヤもしばしばイスラエルに対する対抗勢力となっていました。しかし、その町も荒れ塚になろうとしていました。イスラエルも同じです。
 それはイスラエルの民が自分を救ってくださった神を忘れ、自分の確かな避け所であるお方を捨てて、偶像を拝んだからです。しかし、イザヤは、人々が偶像の神々を離れ、自分たちの造り主を仰ぎ望み、イスラエルの聖者なるお方に目を止める時が来ることを語ります。
 私たちが自分が造られたものであることを再確認して創造者に目を注ぎ、私たちの救いの神である方に目を止めて歩むことをしなかったら、どんなに栄えているように見えることがあっても、それは一時的なものにしか過ぎません。自分たちの立つべきところをもう一度再確認させていただきましょう。



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