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Uテサロニケ 3章1〜5節     2014年6月4日

どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。 (5)

 ここでもパウロは、テサロニケ教会のために祈った後に、自分たちのためにも祈ってほしいと祈祷を依頼します。どれほど長く信仰の歩みをしていたとしても祈りのとりなしを必要としない人はいません。またどんなに信仰が未熟で浅かったとしても、祈られるだけで他者のためにとりなすことを免除されている人はいないのです。
 パウロは、テサロニケ教会の人々を信頼し、またテサロニケ教会のうちに働いて、彼らを強め、守ってくださる真実な主に信頼しています。
 しかし同時に、パウロはテサロニケ教会の人々に、神の愛とキリストの忍耐が必要であることも知っています。それは、テサロニケの人々の中にあるものというよりも、神のうちにあるものであり、彼らが人間の努力によって身につけていくものというよりも、神が恵みによって与えて下さるものです。私たちは神から多く愛され、また多くの忍耐を与えられてきました。そして神は、私たちもまた、そのような愛と忍耐に生きることを願っておられるのです。

Uテサロニケ 2章6〜13節     2014年6月5日

兄弟たちよ。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。 (13)

 テサロニケ教会の人々の中には、主を信じてキリスト者になった後に、神の恵みをはき違えて、神の豊かな恵みがあるのだから、自分は何もしなくてよいのだと考え、そのように生きる人たちがいました。彼らには彼らなりの理屈があったことでしょう。主の再臨が近いのだから、今、仕事をしていても仕方がないとか、神は恵みによってお救い下さるのだから、自分の努力は不要だとか言って、怠惰な生活をし、他の人々の善意にすがって歩んでいたのです。このことはほとんどの仕事を奴隷にまかせているような当時の地中海世界では非常に陥りやすい間違いだったとも言えるでしょう。
 けれども、パウロはテサロニケのキリスト者たちに、静かに働いて自分で得たパンを食べるようにと勧めます。パウロ自身もまたそのような模範を異邦人教会において示していました。主がいつおいでになるとしても、私たちは日々、忠実な歩みをするように求められているのです。

Uテサロニケ 3章14〜18節     2014年6月6日

しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。 (15)

 「朱に交われば赤くなる」と言います。私たちがどのような友人を持ち、どのような人々と交わっているかということは、私たちの思考や価値観・行動パターンに大きな影響を与えるものです。そのような意味で、パウロは、パウロたちの指導に従うことを快しとせず、怠惰な生活を続ける人々と交際しないようにと言います。ただ、それは単に、今、忠実に生きようとしている人たちが悪い影響に染まらないようにというだけでなく、従わない人たちが自分の姿を見つめ、過ちを認めることができるようにということでもありました。
 ですから、これは意地悪をして仲間はずれにするということではありません。彼らは敵ではなく、兄弟なのです。だから私たちは、彼らがもう一度、あるべき姿に立ち返ることを願い、とりなすのです。
 パウロは、テサロニケの人々を平和の主にゆだね、また主イエスの恵みにゆだねてこの手紙を閉じます。皆さんお一人ひとりにも、「いついかなる場合にも」神の平和が注がれますように。



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