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Tテサロニケ 4章1〜8節     2014年5月25日

神のみこころは、あなたがたが清くなることである。(3)

 異邦人社会で主イエスを信じた人々は最初はユダヤ教の指し示す生き方、唯一絶対の神、旧約聖書の律法にあらわされる高い倫理観に憧れと理解を示し、実際にユダヤ教の会堂に出入りしていた人々も多かったことと思いますが、異邦人の中から主イエスを信じる人たちが増えていくにつれ、それまでの主イエスを知らないときの生き方のままに教会生活を送る人々も出て来たことでしょう。ですからここでパウロは、神を喜ばせる歩みを続けるようにと勧めます。
 不品行・情欲におぼれ、兄弟姉妹を踏み付けたりだましたりし、汚れた生き方を続ける人たちに対して、パウロは厳しく警告します。それまでは主を知らなかったのですからやむを得ないでしょう。しかし、主を知った今は、たとい周りの主を知らない人々がどのような生き方をしていたとしても、それまでの歩みを捨てて、新しく、きよく、神に喜ばれる生き方をする必要があるのです。それが具体的にどのようなものであるかは、すでにパウロはそれをテサロニケの人々に教え、自分自身の生き方を通してそれを示してきました。そのことをあなたがたはもうすでに知っているはずだとパウロは言うのです。

Tテサロニケ 4章9〜12節     2014年5月26日

そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。(11)

 次にパウロは「兄弟愛」について語ります。それはまさに主を信じる兄弟姉妹お互いの間での愛し、尊敬し合い、仕え合うところの交わりのことです。パウロはこのことについてはテサロニケの人々に今さら書き送る必要はない、とさえ言います。しかし同時に、私たちは時々そのことを思い起こし、主にあって点検していただく必要があります。愛するということは、相手が完璧ですばらしいから受け入れるということではありません。自分自身の中にも弱さや課題があるのと同じように、他の兄弟姉妹にも足りないところがある・・・けれどもだから愛するのはいやだということではなく、主の恵みにすがって、愛するという決断をしていくのです。
 もう一つここでパウロが言ったのは、自分の仕事に身を入れ、落ち着いた生活をするということです。主にすがり信仰をもって生きる、主の再臨を待ち望みつつ希望を持って生きるということは、信仰だけ頑張って、あとはどうでもいいということではないのです。一人の社会人・家庭人として誠実に生きることが求めされているのです。

Tテサロニケ 4章13〜18節     2014年5月27日

その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。(16〜17)

最初の時期の教会の人々はまさに自分が生きている間に主が再臨されると信じ、期待していました。そんな中で、信仰を持って歩んでいた人たちが、地上の生涯を終えて死んでいく・・・彼らはなぜ再臨を待たずに死んだのだろうか、彼らの信仰は不十分だったのだろうか・・・教会の中に少なからず、疑問と混乱が生じていたのでしょう。
 パウロは主イエスが死んで復活して下さったように、イエスにあってこの地上の生涯を終えた人々もよみがえらせていただくのだと言います。再臨の時に地上にいる者たちの方が偉いということはないのです。先に眠りについた信仰者たちがまずよみがえり、そして、その時に生きている者たちも栄光の体に変えられて主の御許にひき上げられるのです。主がそのようにしてくださろには目的があります。それは、いつも主と共にいる・・・・ためなのです。これこそが最高の祝福、最高の望みです。


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