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レビ記 23章1〜8節     2015年10月10日

正月の十四日の夕は主の過越の祭である。(5)

 二三章ではもう一度、イスラエルの民が守るべき礼拝、祭について整理して教えています。まず毎週の安息日を守るように教えられます。六日は仕事をして、七日目は休みました。その日には仕事をしてはならなかったのです。その日には、日常の仕事をやめて、聖会を守りました。神の言葉を共に聞き、主を礼拝したのです。
 最初の取り上げられる祭は「過越の祭」でした。過越の祭は、エジプトで奴隷であったイスラエルの民が神の力強い御手によって贖い出されたことを記念する日です。エジプト中に災いが及んだとき、小羊の血を家の入口に塗った家は災いが過越したのです。これは季節的には春なのですが、これがイスラエルにとっての正月でした。この過越・出エジプトの出来事こそがイスラエルの歴史の原点だったからです。
 その時には七日間にわたって種入れぬパンを食べました。イースト菌は少量でも全体を膨らますということで、汚れを象徴するものとされたからです。イスラエルの民は身をきよめて、自分たちを贖ってご自身の民としてくださった主を礼拝したのです。

レビ記 23章9〜22節     2015年10月11日

刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。(22)

 次に取り上げられるのは初穂の祭です。イスラエルの民は毎年の収穫をまず神にささげました。この初穂は、それに続く豊かな収穫を予感させるものでした。最初の収穫は大麦で、これは過越の祭の季節に最初の束を神にささげます。それから七週を経て五〇日目にはペンテコステの祝いをします。それは小麦の収穫を祝う祭でした。
 地の収穫をする時には、隅々まで刈り尽くしてはいけないし、また収穫の時に落ちた穂は拾ってはならないとされていました。それは貧しい人々や寄留の他国人たちのための食物とされていたのです。そのようにして、主は貪欲を戒め、弱い立場にある人々に対して配慮することを求められたのです。そして、その戒めの最後にも「わたしはあなたがたの神、主である」とあります。それは自分が豊かになる事だけ考えるのではなく、貧しい人への配慮をもって生きることが、主によって贖われ、神の民とされたものにふさわしい生き方だからです。

レビ記 23章26〜44節     2015年10月12日

特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。(27)

 過越の祭から半年後にもたれたのが、贖罪の日であり、それに続く仮庵の祭でした。今の私たちの暦で言うと、九月後半から十月になるのですが、麦やぶどうを主たる農産物とするイスラエルにおいて、それは一年の収穫の終わりをも意味していました。それと共に民は、新しい一年のために、また主の祝福を祈ったのです。
 贖罪の日は大祭司が一年に一度、至聖所に入って行って、民のためにあがないをする日です。祭司は動物の血を携えて垂れ幕の内側に入って行きました。民は御言を聞き、主の前に悔い改める時を持ちました。これは私たちのために主イエスが十字架の上で贖いを全うしてくださった時に、本当の意味で成就しました。
 そして、その後に、一週間の仮庵の祭を守りました。これはイスラエルの民が荒野で仮住まいをし、その期間も主が支えてくださったことを忘れないためでした。これはその一年も支えてくださった主を心から喜び楽しむときだったのです。



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