chuo@8008amen.com


バックナンバー

旧約聖書
創世記
出エジプト記
レビ記
(章) 1 2 3 4 5 6 7 8
  9 10 11 12 13 14 15
  16 17 18 19 20 21 22
  23 24 25 26 27
民数紀
申命記
ヨシュア記
士師記
ルツ記
サムエル記上
サムエル記下
列王記上
列王記下
歴代志上
歴代志下
エズラ記
ネヘミヤ記
エステル記
ヨブ記
詩篇
箴言
伝道の書
雅歌
イザヤ書
エレミヤ書
哀歌
エゼキエル書
ダニエル書
ホセア書
ヨエル書
アモス書
オバデヤ書
ヨナ書
ミカ書
ナホム書
ハバクク書
ゼパニヤ書
ハガイ書
ゼカリヤ書
マラキ書
新約聖書
レビ記 17章1〜16節     2015年9月29日

肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。(11)

 贖罪の日にあがないにあずかり、神との正しい関係の中に生かされるようになったイスラエルの民はどのように歩んで行くのでしょうか。そのことが十七章以降に記されていきます。
 イスラエルにおいては、牛、羊、やぎは神にささげるために用いられました。そして、それらの動物を私的なことに用いるときでも、それは会見の幕屋の入り口で酬恩祭としてほふり、その血をそこに流し、脂肪は焼いてささげ、祭司の取り分は祭司に渡し、残りの肉も主にささげられたものとして、そこから持っていて食用にしました。それは、それらの動物が偶像礼拝に用いられたり、他の宗教のように血を飲むということがあってはならなかったからです。
 血はいのちそのものとされました。血はあがないのために用いられるべきものだったのです。主イエス・キリストの十字架の血は、すべての罪からわたしたちをきよめます(Tヨハネ一7)。



礼拝メッセージ
毎週日曜日の
礼拝での
メッセージから


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに