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レビ記 11章1〜28節     2015年9月18日

獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。(3)

 十一章からは神によって神のもの・聖なるものとされた民がどのように生きるのかが語られます。ここで取り上げられるのは、聖なる民は、聖なるものと汚れたものを区別し、汚れたものとは一線を引いて、神のものとしてきよい歩みをするのだということです。
 この十一章にはまず食物規定が記されています。動物の中で食べることのできるものは、反芻すること、ひずめが分かれていることという二つの条件を満たす必要がありました。これは、冷蔵庫のない時代、荒野で旅をしながら歩むイスラエルの民をいろいろな病原菌から守る神様の知恵だったとも言われています。しかし、同時に、反芻をするということは神の言葉を繰り返し黙想すること、またひづめが分かれているということは汚れた世にあっても世に染まらずに生きること、という霊的な示唆を受け取ることもできるでしょう。新約に生きる私たちには、何を食べるかよりも感謝していただくことが勧められています(ローマ十四5)。

レビ記 11章29〜46節     2015年9月19日

わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない。(45)

 食物規定が続きます。地に這うものや腹ばいで歩くもの、多くの足をもつものなどはいずれも汚れたものとして食べることを禁じられていました。またそのような食べることを許されていないものの死骸に触れる人も、汚れを負うとされました。
 神は聖なるお方、私たちをはるかに越えて全く汚れのないお方です。この「聖」という言葉には「分離する」という意味があるとされています。このすべてを越えた超越者なる主が、エジプトで奴隷であったイスラエルの民をあがない、他の全ての民から区別してご自身のものとされました。聖なる神がイスラエルの民をあがなって、区別し、ご自分のものとされたのだから、イスラエルの民自身も、汚れとは一線を引いて、神のものにふさわしい歩みをしていくべきだったのです。そのようにして、イスラエルの民は汚れから守られ、他の周辺諸国の民とは区別された歩みをしていくことを求められていたのです。



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