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ヘブル 9章1〜10節     2014年8月1日

また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。(3)

 ここで、ヘブル書の記者は、読者たちに律法の下にあった幕屋の規定を思い起こさせます。幕屋の中心は聖所です。そこには燭台や机や供えのパンなどが置かれていました。祭司たちは日々燭台を整え、新しいパンを供えました。しかし、その聖所の奥に幕で仕切られた奥の間がありました。それは至聖所(聖所の中でも最も聖なる場所)と呼ばれ、その至聖所の中心は契約の箱でした。その箱の中には、マナの入った金の壺とアロンの杖と、契約の板が入っていました。ただその契約の箱で一番重要だったのは、ふたの部分でした。そのふたには左右に向き合う形でケルビムが置かれ、そのケルビムの翼がふたの中心を覆っていました。このケルビムに挟まれ、その翼で覆われた部分を「贖罪所」と言い、そこに小羊の血が注がれ、そこから主が語られるとされました。
 さて、この契約の箱の置かれた至聖所には一年に一度大祭司だけが入って行きました。しかし、主イエスによって開かれた救いの道は、私たちを至聖所の中まで導いていくのです。

ヘブル 9章11〜15節     2014年8月2日

永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。 (14)

 幕屋の時代の祭司たちはやぎや子牛の血を携えて聖所に入って行きました。しかし、キリストは祝福の大祭司として、ただ一度、ご自身の血を携えて聖所に入って行かれ、それによって永遠のあがないを全うされました。動物の血で人間の大祭司があがないをしていた時代には、毎年、そのことがくりかえされなければなりませんでしたが、主イエスは何度も血を携えていく必要はありません。私たちは信仰を持ってからも罪を犯すことがあるかもしれません。しかし、主イエスの十字架の血は過去の罪だけではなく、私たちの生涯の罪を全部贖い、また私たちをきよめて、喜びをもって生ける神に仕える者へと造り変える力があるのです。
 キリストはそのようにして私たちと神との間に新しい契約を打ち立ててくださいました。そして、この新しい契約に生きるお互いは、永遠の国を受け継ぐ希望と喜びの中に聖なる歩みをすることができるのです。

ヘブル 9章16〜22節     2014年8月3日

こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。(22)

 遺言が効力を持つのは遺言者が死んだときです。それと同じように、最初の契約も、新しい契約も、それが効力を持つためには血が流され、死が伴う必要がありました。最初の契約の時には、モーセが契約を読み、民が「その契約の言葉を行います」と応えた時、モーセは民と契約の書に、小羊の血を振りかけました。まさに小羊の命が契約のしるしだったのです。そして、小羊の血は他の祭具にもかけられてきよめがなされました。
 これに対して、新しい契約においては、主イエスの血がその契約のしるしでした。私たちの罪の赦しも、新しい契約の下での新しい命も、きよい生涯も、キリストの血なしにはありません。私たちは知っていたいと思います。私たちの罪が赦されるために、主イエスはまさに、ご自身の血を流し、ご自身の命を与えて下さいました。そしてどんな動物の血にまさって、キリストの血には力があるのです。

ヘブル 9章23〜28節     2014年8月4日

キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。(28)

 地上の幕屋は天にあるもののひな型です。そして天にあるもののひな型は動物の血によってきよめられました。しかし、天にある本体はもっとすぐれたいけにえによってきよめらる必要があります。そしてそれこそが、主イエスがしてくださったことでした。主イエスは、ご自身の血を携えて、神の御前に行き、その血をもって私たちのためにあがないをしてくださいました。主イエスは、私たちの身代わりに血を流し、またその血をもって信じる者は罪が赦され救われるという新しい契約を立ててくださったのです。
 主イエスが来てくださったことによって、終末の時代が始まりました。主イエスは世の終わりに現れて、私たちを救うために十字架にご自身をささげてくださいました。人間には死ぬこと、そして、死んだ後、神の御前に立って裁かれることが定まっています。キリストも死んでくださいました。しかし、主イエスはもう一度来られて、信じる者たちの救いを完成し、御国に住む者としてくださるのです。



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