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Tペテロ 4章1〜6節     2014年10月13日

それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。(2)

 ペテロは読者たちに、自分たちがどのような歩みをしていたかを思い起こさせます。彼らはかつては「好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝」などにふけっていました。しかし、人間の欲情に従って生きていた彼らが主イエスに出会った時、その生涯が全く変わってしまったのです。今まで、彼らと一緒に歩んでいた古い仲間たちは、彼らがつきあいが悪くなったと驚き怪しんだり、ばかにしたことでしょう。しかし、主イエスを知ってしまった以上、同じ生き方はできなかったのです。
 しかし、同時にペテロは罪の力が非常に強く、しぶといことも知っています。ですから、心の武装が必要ですし、苦しむ覚悟も必要なのです。自分の好きなこと、楽なことだけを喜んでいたら、きっと罪の力に巻き込まれてしまうでしょう。
 「死人にさえ福音が宣べ伝えられた」というのは、死後も福音を聞くチャンスがあるということではなく、死んだ者たちも生きているときには福音を聞いていたという意味です。伝えられた福音を信じ、従うお互いでありたいと思います。 

Tペテロ 4章7〜11節     2014年10月14日

あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。(10)

 この時代の教会は、今よりもずっと主イエスの再臨が迫っているという感覚を持っていました。自分が生きている間に主イエスが帰って来られるに違いないと多くのキリスト者たちが期待していたのです。私たちの生かされている時代は、聖書の書かれた時代よりもさらに主イエスの再臨が近づいています。私たちは、いつ主イエスが来られても喜んでお迎えできるように備えていたいと思います。
 ペテロは主イエスを待ち望むための備えとして、努めて祈ること、互いの愛を熱く保ち、もてなし合うことを勧めます。そして、さらに、神様にそれぞれが違った賜物をいただいている者として、その賜物をお互いのために生かして用いるようにと語ります。賜物は自分が楽をしたり、賞賛されるために与えられたのではありません。それを私たちが感謝して用いることにより、神の御名があがめられるためなのです。与えられている賜物の良き管理者として忠実な歩みをしていきたいと思います。

Tペテロ 4章12〜19節     2014年10月15日

だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。(19)

 ペテロがこの手紙を書いた時、教会はすでに様々な厳しい迫害を経験していました。「降りかかってくる火のような試練」とさえ、ペテロは言います。罪を犯して苦しみを招くのは困りますが、主イエスに対する信仰のゆえにそしられ、苦しみを受けるのではあれば何も恥ずかしいことはありません。かえってそのことを喜ぶようにとペテロは言います。そのような迫害の中で、私たちは特別な神の恵みをいただくことができるのです。ペテロは「光の霊、神の霊があなたがたのうちに宿る」と語ります。
 もちろん、主を信じていたら迫害も怖くないとか、豊かな恵みにあずかるために、もっと迫害を求めたらいいとかということではありません。主は私たちの苦しみや痛みも分かってくださるお方です。しかし、なおも苦しみの中に置かれるときには、真実であられる力ある神に自らをゆだねることです。神はいつも私たちのために最前をなしてくださるお方だからです。



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