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Tヨハネ 5章1〜12節     2014年11月5日

なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。(4〜5)

 イエスをキリスト、旧約聖書の時代から神が約束してしておられた私たちの救い主、と信じる人は、神から生まれた者であり、いのちを持っています。そして、このいのちを持っている人は、神を愛し、また神によってあがなわれた兄弟姉妹を愛します。そして、この永遠のいのちを与えられている者たちは世に勝つのです。
 ここで「世」と言われているのは、サタンの支配する世界であり、この地上の目に見えるものに土台し、神に背く悪の力のことを指しています。世は私たちを飲み込もうとします。しかし、ヨハネは言います。神から生まれた者は世に勝つ。主イエスを信じる信仰こそ、私たちを世に勝たせる勝利の力だ。私たち自身の力で悪の力に勝利していくというのではありません。勝利はすでに決まっています。私たちの信じるお方が、私たちに勝利を与えてくださる。私たちはこのお方に信頼して歩めばよいのです。

Tヨハネ 5章13〜17節     2014年11月6日

わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。(14)

 神は私たちの祈り・願いを聞き入れてくださいます。もちろん、私たちが自分勝手な願いをする時には、主は答えられませんし、また私たちが祈り願ったことが自分の予定や計算の中で実現していくとは限りません。しかし、主は私たちのことを知っていてくださって、私たちの祈りに答えてくださいます。ですから、ヨハネは神に願い求めたことはすでにかなえられたのだ、とさえ言うのです。
 では何について祈ったらよいのでしょうか。どんなことでも祈って良いのですが、ヨハネは、罪を犯している兄弟のために祈るようにと勧めます。死に至る罪があります。それは神が備えてくださっている救いを知りながらそれをことさらに拒み続けることです。この救いを拒んでしまったら他には救いはないのです。ですから、罪を犯している兄弟姉妹がいるのを知ったら、その人が主の御前に近づくことができるように祈るのです。

Tヨハネ 5章18〜21節     2014年11月7日

すべて神から生れた者は罪を犯さないことを、わたしたちは知っている。神から生れたかたが彼を守っていて下さるので、悪しき者が手を触れるようなことはない。(18)

 すでに学びましたように、神から生まれた者は罪を犯さない、というのは、主イエスを信じて神の子とされた者が、ことさらに罪を犯し続けることはあり得ない、ということです。確かに悪魔は巧妙にわなをしかけ、私たちの弱いところに働きかけることでしょう。しかし、神から生まれた方である、ひとり子なる主イエスが私たちを守っていてくださいます。私たちは時に恐れ、時に、自分の弱さ・ふがいなさにあきれはて、絶望します。しかし、主イエスが共にいてくださるので、サタンは遠巻きに私たちを威嚇するかもしれませんが、私たちに触れることはできないのです。神は真実なお方ですから、私たちを救うだけでなく、救われて、いのちを与えられた私たちを守り、支えることがおできになるのです。
 ヨハネはこの手紙を、「偶像礼拝を避けなさい」という言葉で締めくくります。実際、当時の異邦人教会は、偶像礼拝との戦いを経験していたことでしょう。神以上に大切にされ、神の代わりに頼りにされるものはすべて偶像になり得ます。神に信頼し、仕えていきましょう。



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