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Tヨハネ 2章1〜6節     2014年10月27日

「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。(6)

 私たちに罪をゆるしきよめてくださる神がいてくださるということは、「神はゆるしてくださるのだから、大いに罪を犯そう」ということではありません。罪を犯し続けながら、それで平気だとしたら、それは非常に悲しいことです。私たちは神の愛の中に、光の中にとどまり、その中を生きるのです。しかし、同時に、私たちが罪を犯すことがあったとしても、悲嘆にくれることはありません。悔い改めて、主の恵みにすがってください。私たちの罪を負って十字架で死んでくださった主イエスが父なる神のみもとで、私たちのためにとりなしてくださるからです。
 「知っている」というのはヨハネがこの手紙を書いている時代に起こった異端の人々の主張していたことでした。彼らは、特別な知識をもっている、と自負していたのです。しかし、主イエスを知っているということは、主イエスについて、神についての特別な知識をもっているということではなく、神との交わりに生きるということであり、当然、そのような人は神の戒めを守ります。主イエスが歩まれたように生きるのです。 

Tヨハネ 2章7〜11節     2014年10月28日

「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。(9)

 主イエスを知り、その戒めを守って生きることの大切さが語られたのですが、その主イエスの戒めは実は決して聞いたことのないような新しい戒めではなく、旧約聖書の時代から神が語り続けてこられたことです。しかし、主イエスは、人となってこの世に来てくださり、その救いの御業を成就して、もう一度、新しい戒めとして御言を語ってくださいました。主イエスはまことの光としてこの世に来て、やみに打ち勝ってくださいました。ですから、私たちはいつまでも闇の中にとどまっている必要はないのです。すでにまことの光が輝いているからです。大切な事はその光の中にとどまり、光の中を歩むことです。
 ここでヨハネは光の中にとどまるということを精神論や気分ではなく、非常に具体的な言葉として語ります。光の中にとどまるということは、兄弟を愛することだと言うのです。兄弟とは主にある兄弟姉妹のことです。もちろん、性格的に合う合わないということはあるでしょう。しかし、私たちは同じ神を父と仰ぐ者とされたお互いとして受け入れ合っていくのです。

Tヨハネ 2章12〜17節     2014年10月29日

若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の言があなたがたに宿り、そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。(14)

 老年になったヨハネは、これからの教会の歩みを思いながらこの手紙を書いています。外からは迫害があり、また様々な異端が教会の中に入り込もうとしています。しかし同時に、ヨハネは教会の将来を決して悲観していません。一世紀の終わりに書かれたこの手紙は決して悲壮感のただようものでもありません。
 私たちは、多くの罪をゆるされたのです。私たちは天の父なる神を、初めからいます方を知ったのです。この「知った」というのも知識をもったというようなことではありません。神との交わりによって神を知る者とされたのです。
 自己過信は禁物です。多くの誘惑があります。罪との戦いがあります。私たちはそのことを忘れてはならないでしょう。しかし同時に、ヨハネは「あなたがたは強い者」と言います。恐れる必要はありません。神の御言が与えられているからです。神はすでに私たちに勝利を与えておられるのです。 

Tヨハネ 2章18〜29節     2014年10月30日

この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。 (27)

 ヨハネは「今は終わりの時」と語ります。多くの反キリストが起こってきていました。キリストに反対する人々の中には一度、教会に加わりながら離れていった人々もいました。キリストに反対する人たちは、イエスがキリスト、救い主であることを否定しました。主イエスの十字架のあがないによる救いではなく、まるで自分の善い行いや深い知恵、神秘的な経験によって救われるかのような言い方をしていたのです。初めから伝えられている福音にとどまり続けることです。それは神の子イエスが人となってこの世に来て、私たちのために十字架であがないを全うしてくださり、信じることによって救いが与えられるという信仰から離れないことです。
 あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっている・・・とヨハネは言います。「この油」とは、聖霊のことを指しています。父・子・聖霊の三位一体の神をバラバラにして片寄った強調をすべきではありません。聖霊は私たちを教え、キリストを指し示し、キリストのうちにとどまっているようにと語るのです。



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