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使徒行伝 13章1〜3節     2020年1月30日

一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。 (2)

アンテオケの教会でみんなが集まって礼拝をささげお祈りをしていた時、聖霊が彼らに、バルナバとサウロとを宣教のために送り出すようにと告げられました。そして教会は祈って二人を送り出したのでした。
 一人の献身者が起こされるということは、本人だけの問題ではありません。主から出たことであれば、教会にも同じ思いが与えられるはずです。
 アンテオケの教会には多くの教師たちがいました。けれども、バルナバとサウロは特別な存在だったはずです。しかしアンテオケ教会は痛みをもって二人を送り出したのでした。もちろん、本人たちも主の迫りに応答するという責任が問われました。けれども同時に、これはアンテオケ教会にとっての献身でもあったのです。
 教会が世界宣教に踏み出して行く、とても大切で大きな一歩が踏み出されようとしていました。教会は祈りの中で神の語りかけを聞き、祈りをもって二人を送り出し、祈りをもって二人を支えたのでした。

使徒行伝 13章4〜12節     2020年1月31日

この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとした。・・・総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。(7、12)

 バルナバとサウロはアンテオケを出て、バルナバの故郷であったクプロに向かいしました。彼らと同行したヨハネは、ヨハネ・マルコであり、後にマルコによる福音者を書いた人物です。彼らはまずユダヤ教の会堂に入り、ユダヤ人やユダヤ教に改宗した外国人・現地の人々に対して主イエスの福音を語りました。
 しかし、彼らの思いや願いを越えて大きなことが起こりました。その地を治めていた総督セルギオ・パウロが求道心を与えられ、主の御言を聞きたいと渇きをもってバルナバたちに近づいてきたのです。けれども、セルギオ・パウロのところに出入りしていた偽預言者バル・イエスは二人の邪魔をしようとしました。しかし、サウロ(ここからはパウロと呼ばれています)が彼をしかりつけると、バル・イエスは目が見えなくなってしまいました。総督セルギオ・パウロはそれを見て驚き、主を信じる人になりました。セルギオ・パウロはユダヤ教と何の関係もありませんでしたが、主イエスを信じて救われたのでした。

使徒行伝 13章13〜26節     2020年2月1日

神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られた・・・(23)

 パウロとバルナバはクプロからパンフリヤのペルガに渡ります。しかしヨハネ・マルコは一行から離脱してエルサレムに帰ってしまいます。マルコはバルナバのいとこであり、親戚関係にありました。マルコの離脱については、ホームシックになったのだろうと言う人もいますが、この段階での離脱は、おそらくクプロで、セルギオ・パウロがユダヤ教とは何の関係もないところから、主イエスの福音を聞いて信じ、救われたということが受け止めきれなかったのではないかともされています。つまりパウロと宣教の方針で一致・納得できなかったと言うのです。
 パウロはピシデヤのアンテオケ(パウロを送り出した教会があったのはシリヤのアンテオケ)に着き、ユダヤ教の会堂に入って、そこで人々に福音を語ります。旧約聖書の時代にイスラエルの先祖を選び、救い出し、導かれた主は、約束の通りに救い主イエスを送ってくださった・・・それが、パウロがユダヤ人たちに対して語ったメッセージでした。

使徒行伝 13章27〜37節     2020年2月2日

しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。(30)

 神は約束された救い主として主イエスを遣わしてくださいました。しかし、エルサレムに住む人々、指導者たちは主イエスを拒み、死刑にして殺してしまったのでした。しかし、それは旧約聖書に書かれていた通りのことでした。そして、神はその主イエスを死人の中からよみがえらせてくださいました。それもまた旧約聖書に約束されていたことでした。
 ユダヤ人たちは旧約聖書を持っていました。神から聖書を与えられた特別な民だという自負がありました。ただ、彼らは聖書の中に、救い主の受難のこともまた復活のことも皆、記されているのに、それを受け入れることをせず、かえって先頭に立って、救い主を殺してしまうという恐ろしい行動をとってしまったのでした。
 聖書を信じ、受け入れないということはとても恐ろしいことです。パウロはここで、聖書を知っている人たちにこのメッセージをしています。ただ、お勤めのように聖書を開いて読むということではなく、この十字架・復活の主に対する信仰をもってみ言葉をいただきたいと思います。

使徒行伝 13章38〜43節     2020年2月3日

このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。(38〜39)

 ユダヤ人たちは旧約聖書を規則集として扱い、神に受け入れられ、捨てられないために、一生懸命それを守ろうとしました。そのような中で、自分はかなり頑張っていると自分の業や努力に酔いしれ、他の人たちを見下げるということが当たり前のようになされていました。
 しかし、神がしようとしておられたのは、私たちの罪のために救い主イエスを遣わし、その死によって救いの道を開くということでした。努力が不要・無用だとか、ちゃらんぽらんで、自分勝手な生き方を推奨するというのではありません。けれども、私たちが救われるためには、神が遣わされた主イエスを受け入れ、このお方を信じるしかないのです。
 そしてこの主イエスを信じる者は「罪のゆるし」が与えられ、もれなく義とされます。このようにして、パウロは人々を信仰へと招きました。ユダヤ人たちだけでなく、ユダヤ教に改宗した異邦人たちも、パウロの話を聞いて心を開いていきました。 

使徒行伝 13章44〜52節     2020年2月4日

異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。こうして、主の御言はこの地方全体にひろまって行った。(48〜49)

 パウロは次の安息日にも同じ話をほしいと言われました。そして一週間後、今度は町中の人たちが「ほとんど全市をあげて」パウロの話を聞こうとして集まってきました。しかし、ユダヤ人たちはその様子を見て、非常にねたましくなり、パウロを口汚くののしりました。パウロはその伝道旅行において、いつでもユダヤ人伝道をおろそかにすることはありませんでした。ユダヤ教の会堂があれば、まず、そこに入っていって、安息日に聖書を開いて、主イエスのことを語りました。しかし、パウロの伝道の働きに対して一番激しく反対し、その足を引っ張ったのはユダヤ人たちでした。
 パウロは会堂を出て、異邦人たちに福音を語ります。そして、多くの異邦人たちが主の御言をほめたたえ、主イエスを信じて、永遠の命にあずかっていったのでした。
それもまた旧約聖書の時代から約束されていたことの成就でした。



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