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使徒行伝 3章1〜10節     2019年12月18日

ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。(6)

 エルサレムの神殿に入ると、最初は広場に出ます。その広場は異邦人の庭と呼ばれて、異邦人たちが祈りをささげ、礼拝をする場所でした。異邦人はそれより奥には入ることはできません。その異邦人の庭の奥に「婦人の庭」があり、イスラエルの女性たちはそこで神さまを礼拝しました。その奥にはイスラエルの庭という場所があり、そのイスラエルの庭の中に、神殿の本体である聖所がありました。美しの門は、婦人の庭からイスラエルの庭に入っていくための門です。イスラエルの男性が主を礼拝する時には必ずその門を通ります。しかし、そこに毎日運ばれてきて、置かれていた一人の男がいました。彼は生まれながら足が悪くて、歩いたことがありませんでした。彼はそこで物ごいをしていました。そこはこじきをするには一番よい場所だったのでしょう。しかしそこを通ったペテロは「わたしにあるものをあげよう」と言い、イエスさまの名によって彼を歩かせたのでした。主イエスは彼の生涯を全く変えてくださったのです。

使徒行伝 3章11〜16節     2019年12月19日

そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。(16)

 ある意味、この美しの門の足の悪いこじきは有名な人だったのかもしれません。彼は生まれた時から40歳くらいまで、ずっとこじきをして生きてきました。イスラエルの人たちが礼拝をささげる時にはいつも目にした顔だったのです。人々は彼が歩いて、踊りながら主を賛美しているというニュースを聞いて、驚いてそこに集まってきました。
 そして集まってきた人たちにペテロは語ります。「私たちは自分の力や信心でこの人を歩かせたのではない」。ペテロは自分のうちに何の誇るべきものもないことを知っていました。そうではなく、「十字架につけられて死なれたけれどもよみがえられた主イエスの名が、そのお方を信じる信仰によってこの人を強くし、いやし、完全にし、歩けるようにしたのだ」とペテロはとても力強く語ったのでした。そして、この十字架・復活の主イエスの名は今も私たちを生かします。 

使徒行伝 3章17〜26節     2019年12月20日

だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。(19)

 人々がそこに集まって来たのは、美しの門でこじきをしていた足の不自由な男が歩いているという信じられないニュースを聞いたからです。自分たちもひと目その奇跡を見ようと思ったからです。しかし、そこで聞いたのは、彼らの記憶にも新しい、十字架につけられたイエスのことでした。ペテロは、この主イエスがよみがえられたと語り、この十字架・復活の主イエスこそが、旧約聖書の中に予告され、預言者たちによって語られていた救い主なのだという驚きの知らせを告げました。
 自分たちが十字架につけてしまった主イエスが救い主なのだ。しかし、その苦難と死さえも、旧約聖書に予告されていた・・・。人々は驚きと恐れをもってペテロの語るメッセージを聞いたことでしょう。
 そしてペテロは言います。「悔い改めて本心に立ちかえりなさい」。私たちは自分の罪を認めて、あるべき本来のところに戻る必要があります。そのことによって、罪のゆるしが与えられるのです。



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