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使徒行伝 7章1〜8節     2020年1月1日

わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて、仰せになった、「あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい」。(2〜3)

ユダヤ人のサンヒドリン(宗教議会・いわゆる「七十人議会」)において、訴えに対する弁明を許されたステパノは口を開いて語り出します。ステパノはここで自分が危害を加えられないために命乞いをしているのではありません。自分が聞いて信じた主イエスの福音のエッセンスをここで大胆に語るのです。
 そもそもの始まりはアブラハムでした。彼がまだメソポタミヤにいたときに、栄光の神が彼にご自身をあらわして、御言を語られました。アブラハムは主の言葉に従って、メソポタミヤを出るのですが、その後、カラン(ハラン)にとどまっていたアブラハムに主は再び語りかけて、イスラエルの地に導かれたのでした。アブラハムが神に導かれて来た時には、まだ彼は少しの土地も持っていませんでした。まだ神殿もない時に、主はアブラハムと契約を結ばれました。主はどこにおいても私たちに語られます。主は全地の主だからです。

使徒行伝 7章9〜16節     2020年1月2日

族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。(9〜10)

 さて、アブラハムがメソポタミヤにいたときに、主はアブラハムに語られたのですが、時代はアブラハム、その子イサク、その子ヤコブと進んでいきます。ヤコブには十二人の息子たちがいました。しかし、十人の息子たちは弟のヨセフをねたんで、彼をエジプトに売り飛ばします。この話はイスラエル人であれば誰でも知っている話です。
 ステパノは言います。「しかし、神は彼と共にいまして」。ステパノは確かにエルサレムで宗教裁判にかけられていました。エルサレムは主がその名を置かれた都であり、その神殿は主の臨在を表すものでした。けれども、主はヨセフが売り飛ばされた先のエジプトでも彼と共にいて、彼を救い、彼に恵みを与えてくださいました。ヨセフがたまたま運がよかったとか、パロ王とウマがあったということではなく、主がエジプトでの苦難の中にあってもヨセフと共にいてくださったのです。

使徒行伝 7章17〜22節     2020年1月3日

神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ・・・(17)

 アブラハムの子孫たちはヨセフの時代にエジプトに移住しました。そして神は、ヨセフと共にいたように、イスラエルの民とも共にいてくださいました。ただ、エジプトでのイスラエルの民は奴隷にされ、非常に厳しく苦しい時代を通ります。しかし、主はアブラハムに対する約束を覚えておられました。確かに歴史的には四百年にわたって、イスラエルの民はエジプトに住みました。けれども主はアブラハムとの約束をちゃんと覚えておられたのでした。
 ここで鍵になるのは、神の「約束」であり、またその約束に対する神の真実でした。エジプトの王パロが、イスラエルに生まれた男の子を生かしておかないと決めた中で、主はモーセの命を守り、イスラエルの民に対して厳しい態度をとっていたパロのすぐそばに置いて、彼を守り、彼を育てられたのでした。神は最初から時を定めて、その約束を成就しようとしておられました。神が備えられた大逆転の時が来ようとしていました。

使徒行伝 7章23〜29節     2020年1月4日

四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。(23)

 モーセは九死に一生を得て、それだけではなく運命の大逆転を経験し、パロの子としてエジプトの最高の学問を身に付けました。しかし、彼が四十歳になった時、彼は自分の兄弟であるイスラエル人たちのために生きるという決断をします。彼がエジプト人の中で、エジプト人の一人のように教育を受けながら、イスラエル人としてのアイデンティティーを失わなかったのは大きな驚きです。彼が乳離れするまでイスラエル人の両親の下で育てられたことが彼の人間形成に大きな影響を与えたのでしょう。
 奴隷であったイスラエル人のために生きるということが何を意味するかをモーセも理解していたはずです。ある意味、モーセにとって、それは命がけの後戻りできない決断でした。けれども、イスラエルの民はモーセを自分たちの仲間、自分たちを救い出してくれる民のリーダーとは受け入れてくれませんでした。神はなおも時間をかけようとしておられました。 

使徒行伝 7章30〜34節     2020年1月5日

四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。・・・主の声が聞えてきた、「わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」。(30〜32)

 モーセはミデアンの地に逃れ、そこで結婚し、子どもが生まれ、四十年という時を過ごします。彼にはもうエジプト人として生きる道は残されていませんでした。かと言って、彼はイスラエル人としても受け入れてもらえなかったのです。モーセはミデアンの野で羊飼いとして生きていました。エジプト人として生きてきた期間と同じ時間を羊飼いとして過ごす中で、エジプトでの豊かな生活や、イスラエルの民を救おうとするビジョンに燃えた頃のことなどとっくに忘れてしまっていたことでしょう。
 しかし、主はミデアンの荒野においてモーセにご自身を示し、彼に語りかけられたのでした。神は、燃える柴に近づいてきたモーセに対して、「あなたの立っているこの場所は聖なる地である」とおっしゃいました。ステパノはエルサレムの神殿だけではなく、神が様々な場所でご自身を示してこられたことを次々に聖書から明示していくのです。

使徒行伝 7章35〜38節     2020年1月6日

この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。(38)

 神はご自身の器としてモーセを召してお用いになりました。神は、エジプトにおいても、紅海でも、また荒野でも、奇跡としるしをもってご自身を示されました。神はシナイ山のふもとにイスラエルの民を導いて、「荒野における集会」で「生ける神の御言葉」を民に伝えられたのでした。神は天地万物を造られた方ですから、世界を支配し、どこにおいても民に近づくことがおできになり、民に語ることがおできになります。
 アブラハムも、モーセも、ユダヤ人たちが愛し敬っている人物たちです。神は彼らに対しても様々な場所でお語りになりました。そしてモーセは、神がやがて「ひとりの預言者」をお立てになると、神が送られる救い主についても預言したのでした。
 大切なのは、どこにあっても、神が語られる御言に聞き従い、神が遣わされる救い主を受け入れ、そのお方にすがることなのです。

使徒行伝 7章39〜43節     2020年1月7日

ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて・・・ (39)

 神は荒野においてモーセを通してイスラエルの民に語られました。しかし、民はエジプトにあこがれ、エジプトでの生活を慕って、自分たちのために神を造って拝んだのでした。彼らは子牛の像を拝み、また様々な偶像や天の星を拝みました。彼らはエジプトにいた奴隷としての生活を引きずっていったのです。
 イスラエルの民は四十年間、荒野を歩みました。それは彼らが神に従うことをせず、神に信頼することをしなかったからです。そして、その四十年間の荒野の歩みにおいても彼らは何度も何度もモーセを困らせました。彼らは単にモーセを拒んだのではありません。モーセを召し、モーセに御言をゆだねられた神を退け、拒んだのです。
 そしてモーセを拒んだイスラエルの民は、やがて人となってこの世に来てくださった主イエスをも拒むことになります。大切なことは、語られる主の言葉をよく聞いて従うことなのです。

使徒行伝 7章44〜50節     2020年1月8日

しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。(48)

 イスラエルの人たちはエルサレムの神殿を誇りとしていました。それが彼らの宗教の中心でした。彼らはまさに建物としての神殿に彼らの信仰の根拠を置いていたとも言えるでしょう。彼らは目に見える神殿に頼っていました。この神殿があるから自分たちは大丈夫と考えたのです。
 しかし、そもそもイスラエルの民がエジプトから救い出された時、神がモーセを通して命じられたのは移動式の礼拝所である「幕屋」を作るようにということでした。主はとても詳細に幕屋の造作について語り、指示を与えられました。この「あかしの幕屋」は本来のものの型でした。そしてその本来のものとはソロモンによって建てられた神殿のことではありません。そもそもソロモン自身も自覚していたことなのですが、天地を造られた神をエルサレムの神殿に押し込めてしまいことはできません。神はどんな豪華な、また巨大な神殿をもってしても納めきることなどできないのです。

使徒行伝 7章51〜53節     2020年1月9日

ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。(51)

 神はイスラエルの民をエジプトから救い出された時に、シナイ山のふもとで彼らに律法を与えられました。それはエジプトから救い出された神の民がどのように生きるべきかを示したものでした。神は彼らに、自分たちが神の民であることのしるしとして割礼を受けるように命じ、また、神の聖なる民として、イスラエルがどのように歩むべきかを教えられたのです。ですからここで、一番大切なのは、律法を与えられ、律法の内容を知っているかどうかではありません。大切なのは律法を守り、神の民として生きるということです。
 しかしながら、イスラエルの民は律法を伝えられながら、律法を守ろうとしませんでした。神に背き続け、彼らの罪を指摘した預言者たちを殺してしまったのです。主イエスを十字架につけて殺してしまったのも、また預言者たちに歴史の中でしてきたことの繰り返しでした。彼らは律法を守ることに真剣だと自負していました。しかし、彼らは全く、律法に従っていなかったのです。

使徒行伝 7章54〜60節     2020年1月10日

そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。(60)

 ステパノはいわゆる「ギリシャ語を話すユダヤ人」の一人でした。彼が目に見えるエルサレムの神殿にとらわれず、律法を字義的に理解するのではなく、形式的にそれを守ることに拘泥していなかったのは、彼自身の生まれ育った背景も影響していたことでしょう。しかし、その当時の宗教家たちにはステパノがエルサレムの神殿を否定し、また律法の規定を軽視していると思われたのです。
 彼らは怒り狂い、ステパノに向かって歯ぎしりしました。ステパノはそんな中でも天を見つめていました。すると天が開けて、主イエスが神の御座の右に立っておられるのが見えたのでした。人々はステパノ目がけて殺到し、彼に石を投げつけ、ステパノを殺害しました。しかし、そんな中にあっても、ステパノは自分自身を主にゆだね、自分に石を投げつける人たちのためにとりなしの祈りをささげます。それはまさに主イエスが十字架の上でささげられた祈りに通じるものでした。



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