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使徒行伝 9章1〜9節     2020年1月14日

突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」「主よ、あなたは、どなたですか」「わたしは、あなたが迫害しているイエスである・・・」(3〜5)

 ステパノの殉教の後に起こった迫害で、その急先鋒になったのがサウロでした。サウロもまたステパノと同じように、ギリシャ語を話せるユダヤ人であり、エルサレムから離れた地タルソで生まれた人でした。それだけに彼は余計にステパノを許せなかったのかもしれません。
 彼は遠い隣の国にまでも出張するようにして、主イエスを信じる人たちを捕らえようとしました。しかし、そのダマスコへの途上で、彼は復活の主イエスの呼びかけを聞きます。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」。もちろん、サウロは主イエスを迫害した覚えはありません。教会を迫害していたのです。けれどもこの呼びかけは、主イエスが今も生きておられること、また主イエスと教会の間に命のつながりがあること、教会で語られていたメッセージこそが真実だったということを彼に悟らせたのでした。彼の価値観が100%入れ替わっていく大きな出来事でした。

使徒行伝 9章10〜19節     2020年1月15日

しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である・・・」(15)

 ダマスコの町にアナニヤという信者がいました。ダマスコの信者たちは各地において、イエスを信じる人たちに激しい迫害を行い続けていたサウロがダマスコにおいても主イエスを信じる者たちを捕らえてエルサレムに連行しようとしていることを聞いていました。まさに恐れと不安の中で息をひそめ、また主に祈りをささげていたことと思います。
 しかし、主がアナニヤに現れて、「真すぐ」という通りのユダの家にサウロがいるので、サウロに会いに行って、そこで彼の上に手を置いて祈るようにとおっしゃったのでした。アナニヤも恐れの中で祈っていたことでしょう。しかし、彼もサウロが主を信じる者になるなどということは全く期待していませんでしたし、思いもしていませんでした。けれども、神はその迫害者サウロを主の名を世界中に伝える器として選んでおられたのでした。アナニヤは主の言葉に信頼してサウロを訪ね、彼のために祈りました。

使徒行伝 9章19〜22節     2020年1月16日

サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。(19〜20)

 サウロは主イエスを信じる人たちを迫害しようとして、「殺害の息をはずませながら」ダマスコに向かっていました。サウロは信者たちが十字架につけられたイエスさまを救い主・神の子だと告白し、十字架で死んだ主イエスがよみがえられたと言っているのを知っていました。サウロは十字架につけられた主イエスをメシヤとするなどとんでもない、と激しく信者たちに反発し、教会を迫害していました。
 しかし、そのダマスコへの途上で、サウロは復活の主イエスに出会いました。その時、彼は自分がとんでもない間違いをしていたことに気づかされたのです。自分が否定していた主イエスは本当に復活していた。サウロは主イエスこそがキリストであり、神の子であることを知ったのでした。
 そのことが分かったサウロは今度は非常に力強く、主イエスこそが神の子・救い主であることを告白し、人々に伝え続けたのです。

使徒行伝 9章23〜31節     2020年1月17日

ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。(27)

 サウロは教会を迫害していましたが、主イエスを信じ、伝えるようになってからは、今度は彼自身が迫害される側になりました。サウロは実際、何度も命をねらわれます。
 サウロは夜の間に、ダマスコからエルサレムに逃れます。そしてエルサレム教会の人たちの仲間に入ろうとしたのですが、信者たちは恐れてサウロに近づこうとはしませんでした。サウロが自分たちをだまして、自分たちを捕らえようとしていると疑ったのでしょう。サウロはユダヤ教徒たちからも、教会からも厳しい目で見られていました。
 しかし、そのような中で、人々に信頼されていたバルナバはサウロを受け入れて彼の世話をし、彼をエルサレムの信者たちに紹介して、サウロが受け入れられるようにしたのでした。バルナバはまさにそのようなとりなし手として教会の中でとても大切な役割を果たしていったのでした。

使徒行伝 9章32〜35節     2020年1月18日

ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。(34)

 ペテロは様々なところをまわって、ルダでアイネヤという人に出会いました。アイネヤは八年間も寝たきりでした。この人は中風でした。今で言う脳卒中で体が動かなくなっていたのです。
 ペテロはこのアイネヤに声をかけます。「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのだ」。体が動かない中で、八年間もそのような状態にあって、アイネヤはもうすっかり希望を失っていたことでしょう。しかし、イエス・キリストにはそのようなアイネヤをいやし、立たせることがおできになったのです。ペテロはアイネヤをもう一度主イエスに対する信仰に立たせます。
 そしてペテロは彼に「起きなさい、そして床を取りあげなさい」と語ります。それは主イエスが、屋根をはいでつり下ろされた男に語られた言葉でもありました。そして彼は起き上がりました。彼の生涯に起こったことを見て多くの人が主を信じたのでした。

使徒行伝 9章36〜43節     2020年1月19日

ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。(40)

 ペテロを通して起こった主の奇跡がまた書き記されます。ヨッパにタビタという女弟子がいました。彼女はその良い働きや施しによって知られていました。彼女は上着や下着を作ってやもめたちに与え、貧しいやもめたちを支えていました。タビタ自身も豊かな人ではなかったかもしれません。しかし、彼女は自分にできることをして、教会のやもめたちを助けていました。
 しかし、そのタビタが死んでしまったのです。人々は深い悲しみの中にあってその死を悼みました。ペテロはヨッパに呼び出されました。彼はその亡骸を前にして祈り、そしてタビタの遺体に向かって「タビタよ、起きなさい」と呼びかけました。すると死んでいたタビタが生き返ったのでした。
 私たちの地上の生涯にもやがて死の日が来ます。しかし、死は私たちの終着点ではありません。あのタビタのように、私たちも神の御子キリストが私たちの名を呼んで「起きなさい」と声をかけてくださる日が来るからです。



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