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2013年

見つめていると見えてくる  マルコ 8章22〜25節

盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。(25)

 主イエスのところに一人の盲人が連れてこられました。そして人々は主イエスに彼をいやしてほしいと願い出たのでした。
 聖書は目が見えないと言うことを、単に体のことだけではなく心の問題としてとらえています。つまり体の目が見えないより、もっと重大なことがある。体の目が見えなくても心の目で見ることができる。また逆に体の目が見えていても心の目が閉ざされていることがある。

 心の目が見えないから
   @自分の罪深さが見えない
   Aそこにおられる主イエスが見えみえない
   B私たちが抱いている望みが見えない

 この盲人の目を開いてくださった主は、私たちの心の目をも開いて、はっきり見えるようにしてくださいます。

1 はっきり見えるふりをしない

 盲人の人は、光を感じ、ぼんやりでも見えるようになっている。向こうで歩いている人が見えるのです。でも木のようだ・・・見えていないのに、まるで見えているかのようなふりをする必要はありません。見え始めている。でもまだ焦点が合っていない。だったらそのまま正直に神さまの前に出たらいいのです。

2 繰り返しふれていただく

  主イエスは再びこの人の目に触れてくださいます。主は私たちに触れてくださる。一回二回三回、何回でも触れてくださるのです。遠慮しないでください。主イエスの力がそこから流れていく。もちろん、主イエスさまは手で触れなくてもいやしてくださいます。今、主イエスは御言をもって私たちに触れてくださるのです。

3 見つめて続けること

  ここで盲人は見つめていると、はっきり見えるようになったとあります。主イエスを知ります。信じます。でもまだまだすぐにすべてがクリアではなくて、とてもぼんやりしているかもしれません。けれども見つめ続けていてください。するとやがてすべてのものがはっきり見えてくるのです。

 主は私たちの目を開き、はっきりと神さまが見えるようにしてくださいます。自分の罪深さが見え、そこにおられる主イエスが見え、私たちが抱いている望みが見えてくる。主が信じる者に備えてくださっている恵みがどんなに豊かなものであるかがはっきり分かるようになる。何か強いられて、やっとこさっとこ歩んでいくというのではなく、大きな喜びを抱いて主に仕えることができるようにされるのです。


      

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