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民数記 11章1〜15節     2015年11月14日

さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。(1)

 イスラエルの民はつぶやきを起こします。マナは神がイスラエルの民のために備えてくださった究極の栄養食だったのですが、エジプトでの豊かな食生活に慣れていた人々は、「このマナの他何もない」とつぶやくのです。
 ここで「多くの寄り集まりびと」(4)とあるのは、元々はイスラエルの民ではなかったのだけれど、イスラエルの出エジプトに合わせて、イスラエルと共に歩んだ方がいいかもしれないとついてきた他国人たちのことだと言われます。そして彼らのつぶやきに周りも巻き込まれていきます。神はイスラエルを守り、豊かな祝福の中に置いておられるのに、「災難に会っている人のように」つぶやく、家ごとに、その天幕の入口で泣く・・・それはまさに、イスラエルをエジプトで奴隷であったところから救い出してくださった主の耳元で文句を言うことでした。様々な困難の中に置かれることもあるでしょう。しかし、つぶやくのをやめて感謝することから始めようではありませんか。

民数記 11章16〜30節     2015年11月15日

わたしは下って、その所で、あなたと語り、またわたしはあなたの上にある霊を、彼らにも分け与えるであろう。彼らはあなたと共に、民の重荷を負い、あなたが、ただひとりで、それを負うことのないようにするであろう。(17)

 モーセはつぶやくイスラエルの民を前にして途方に暮れます。二百万人とも言われるイスラエルが一斉に文句を言ったり、嘆いたりし始めたら、誰であっても気が滅入ることでしょう。神は二つのことをモーセに告げられます。一つは七十人を選んで、神の前に立たせよ、ということでした。神はモーセが民の重荷を一人で負わなくてもよいように、選ばれた七十人の上に、モーセに与えられているのと同じ神の霊を注いでその重荷を共に負わせようとされたのです。今日あなたの上にも主の霊が注がれています。それは共に重荷を負い合うためです。
 もう一つのことは、肉が食べたいなら食べさせようということでした。これにはモーセの方があわてます。こんなに多くの人たちにどのように肉や魚を食べさせるというのか・・・。しかし、神は、主の手は短かろうかとおっしゃり、わたしが言ったら成るのだと約束されたのでした。

民数記 11章31〜35節     2015年11月16日

さて、主のもとから風が起り、海の向こうから、うずらを運んできて、これを宿営の近くに落した。(31)

 主は、風を起こして、うずらの群れをイスラエルの民のところまで運ばれました。大量のうずらが民の目の前に飛び込んできました。モーセでさえも、神様、それは無理でしょう、と申し上げたことでしたが、モーセもイスラエルの民も、想像もできなかったことを、主は、いとも簡単に成し遂げられたのでした。
 民は二日間にわたって終日終夜うずらを集めました。少なく集めた人でも十ホメル、二十リットル以上でした。彼らは集めた物を宿営の周囲に広げて干します。彼らがつぶやき夢にまで見た肉です。しかし、彼らは目に見えるものが,それだけで自分たちに喜びを与えてくれるのではないことに気づいたはずです。私たちは時に、手元にないものを数えてつぶやき、あれがないから自分は不幸だ、あれさえあれば自分は幸せなのにと思います。しかし、実際にはそうではないのです。欲心を起こして、神につぶやき続けた民の間に疫病が起こり、死んだ人々もいました。神の力の大きさと共につぶやきのもたらす悲しい結果を思います。



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