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ヨブ記 27章1〜23節    2017年4月19日

神が彼を断ち、その魂を抜きとられるとき、
神を信じない者になんの望みがあろう。(8)  

 ヨブはこれだけ多くの苦難にあっても、またこれだけ人々の無理解と心ない言葉にさらされても、神の存在を疑ったり、また自分の信じている神を呪って他の神に乗り換えたりということはありませんでした。かえって、彼はこのような苦難の中にあっても、「神は生きておられる」と告白します。不合理と思える苦しみの中にあっても、なお、神を見上げています。そしてヨブは今、自分が生きているのも、神の息が鼻から吹き入れられているからだ、自分は神に生かされているのだということを告白するのです。
 そしてヨブは言います。死ぬときにもし神を信じていなかったら、何の望みもない。逆に言うと、ヨブは神を信じていることのゆえに、このような中にあっても、また死を覚悟しながらも、自分には望みがあると言うのです。
 ただ同時に、語り続けるヨブは次第に、自分の正しさ・潔白さに対するこだわりがどんどん強くなっていきます。そこにはある種の危うさが潜んでいました。



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