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            | 出エジプト記 3章1〜12節     2015年5月29日 | 
           
          
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             神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう」。(12)  出エジプト三章の出来事はモーセがミデアンの地で四十年を過ごしてから、モーセが八十歳の時のことと言われています。彼はシナイ半島のホレブの山に羊を飼いながらやって来ます。しかし、主は燃える柴の中にご自身をあらわされたのでした。主は、その柴の中からモーセに声をかけられ、モーセのくつを脱がせて、彼に語りかけられます。 
 神はエジプトにいるイスラエル人たちの苦しみを聞き、彼らを救い出そうとしておられました。そして、主はモーセに語られます。「さあ、わたしはあなたをパロにつかわそう」。四十年前のモーセでしたら、神の語りかけにもっと勇猛果敢に答えることができたでしょう。しかし、この時のモーセは尻込みをします。 
 しかし、主は「わたしは必ずあなたと共にいる」と約束してくださったのでした。まさに、主の臨在が共にあるということが、どんなしるしにもまさる大きな約束だったのです。 
 
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            | 出エジプト記 3章13〜22節     2015年5月30日 | 
           
          
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             神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。(14)  モーセは神の名を尋ねます。主はモーセに「わたしはあってある者」と答えられます。まったく謎かけのような答えですが、それは、主が何がなくても「ある」と言うことのできるお方、絶対者であることを示しています。私たちは自分が存在するために多くのものを必要とします。水や食糧や空気、いろいろなミネラルやビタミン、声をかけてくれる家族や友人・・・私たちは多くのものに依存し、多くのものに支えられています。しかし、神は何もなくても存在できる方です。 
 そして、自ら存在するだけでなく、他者を存在させることのできる方です。このお方が、光「あれ」とおっしゃると、そこに光ができます。まさに主はすべてのものの創造者、すべてのものを支えることができるお方なのです。 
 モーセに託されようとしている使命はとても大きく、困難が予測されるものでした。しかし、わたしは「ある」とおっしゃるお方がそれをなそうとしておられたのです。 
 
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