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箴言 14章1〜35節    2017年11月8日

主を恐れることは命の泉である、
人を死のわなからのがれさせる。(27)

 主を恐れるとはどういうことでしょうか。それは神を恐いと思うことではありません。もちろん、「恐い」という感覚には危険を察知するという側面がありますから、神に背き、罪を犯している時に、裁き主である神を「恐い」と感じることは正常なことですし、また必要なことです。しかし、この主を恐れるということは、主との正しい関係にあるときにも感じるべきものです。これは神を神とする、ということからくるとても正常な姿です。神は私たちをはるかに越えたお方です。私たちはこのお方の前に出る時に、自らの小ささ、無知無力であることを覚えます。そのような正常な神との関わりの中から出てくる「恐れ」を失ってはいけません。確かに主は私たちを愛し、「友」と呼んでくださいます。しかし、神の御前にあることからくる正常な恐れ、それは人としてどうしても必要なものです。神とのあるべき関係を保ち続けているところから命は来ますし、また祝福は注がれていくのです。 



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