神に見捨てられたただ一人の人   (マタイ27章32 〜46 節)

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずからこらしめをうけて、われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
(
イザヤ53章5

 

この「わが神、わが神、どうして・・・・」という祈りは、絶望の中での祈りです。実はこの祈りは詩篇22篇1節に見いだすことができます。

1 詩篇の記者の叫び

 この詩篇22篇で、作者は、助けが必要なのに神が遠く離れて立っておられるように感じ、嘆いているのに聞いていただいていないように感じています。神に呼ばわっても答えがないのです。人から捨てられ、あざけられています。作者は主に信頼しているのに、悪い者たちが自分を囲み、そして自分の手と足を刺し貫いた、そして、人々が自分の衣服を分け、着物をくじ引きにしている・・・この22篇の作者は図らずも、イエスの受難の預言をしました。

2 神に見捨てられたイエスの叫び

 知ってください。私たちは神様に見捨てられたように感じることがあるかもしれません。ある意味、私たちは、神に見捨てられても何も文句の言えない者です。そして、そのことを私たちは知っているのです。だってどれだけ自分は罪深く、どれだけ自分は信仰の弱い者だろうか。けれども、私たちは見捨てられてはいません。ただ、人間の歴史の中でたった一人、神に全く捨てられた人がおられました。それがイエス・キリストでした。

3 神に捨てられるべき私の救い

 罪のないお方、愛する子と呼ばれたお方が、なぜ捨てられなければならなかったのでしょうか。それは、このお方が私たちの罪を身代わりになって負ってくださったからです。本当に捨てられなければならないのは私たちの方だったのです。罪を犯し、神に背いていた私たちの方が、神に捨てられ、断末魔の叫びを上げなければならなかったのです。けれども、主イエスは私たちの罪を負ってくださいました。そして神から文字通り捨てられてくださったのです。

 あなたは決して神様に見捨てられることはありません。主イエスが見捨てられてくださったからです。それは決して当たり前のこと、同然のことではありません。あり得ないこと、あってはならないことです。けれども、神はそのことをしてくださったのです。あなたに今日もしていただきたいことがあります。自分の罪を認め、私たちの罪を身代わりに負ってくださった主イエスを信じることです。

(2008.3/16)