すべてが新しくなった(木下昌彦師)
(Uコリント5章16 〜 21節)
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。。(16節)
パウロは、神によって劇的に変えられた人だった。しかし、過去の彼の人生は、ひたすら自分の功績を求め、自分が認められることを求め続けた人であった。彼には多くの人がうらやむ、誇るべき血統、学歴、功績などが多くあった。彼は、そのような価値観をさらに追求しながら、それに縛られ、それにコントロールされ生きていた。そのことのために、ある時は、人々を迫害したり、苦しめたりしながら生きていた。ところが、ある時以来、それまで自分のために得だと思ってきた物事が何の意味もないものだということに気づかされた。また、過去の自分がいかに自己中心で、醜い人間だったかということに気づかされた。それは、イエス・キリストを知った後だった。彼の古いものはキリストを救い主として信じ受け入れた時、キリストの十字架に共につけられ、共に葬り去られた。彼自身の力でなく、神の愛によって、古い自分、過去の自分は過ぎ去った、という経験をした。
また、それだけではなく、彼はすべてが新しくされた経験をした。彼は、それまでの自分がもっていた価値観を、神によってがらりと変えられた。何にもましてキリストを知ることこそ最大の価値あることを知るようになった。やがて消えてなくなるもののためにではなく、見えない永遠の世界のために生きることに最大の価値を置く人生をスタートした。そして、視点が変えられた。それまでは見えるものだけに価値を置き、それを一生懸命追求してきたが、目に見えない永遠のものに価値を置き、それに目を注ぐようになった。
「すべてが新しくなった」とは、信じた後に完全無欠の人間になると言うことではない。イエスの弟子たちも失敗もしたし、罪も犯したし、裏切りもした。そうではなく、キリストを受け入れた者の内側が新しくなったということ、価値観が根本的に変えられたということ。古い価値観でなく、新しい価値観、視点が与えられたということである。
またその変化は、キリストにとどまり続けている者の内に、これからも起こり続けていく。たとえ分からないような小さな変化のようでも、その種(御言葉)には命があるので、信じ従い続けていく者の内に必ず変化をもたらす。私たちには出来ないことも私たちを造られた神にはお出来になる。私たちに必要なことは、いつもキリストを心の内に迎え入れていること。私たちを変え続けることはこれからも主が成してくださる。
(2008.2/24)