復活にあずかる喜び
(ルカ20章27 〜 40節)
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである。(38節)
復活や霊性ということについて、二つの極端な考え方があります。一つは、この地上のことが大切なのだから、この地上で一生懸命励み、この地上で多くの祝福・報いをいただくように求めていくべきだという考えです。もう一つは、霊的なことがらを大切にし、この世のことはあまり考えず、あくまでも天国に希望をもって地上にはあまり期待しないで生きる生き方です。前者は多分にサドカイ的であり、後者はパリサイ的であるということもできるでしょう。
イエスはどちらの極端をも退けられつつ、復活について語られました。
1 復活後の世界は今の世界の基準でははかれない
サドカイ人たちの問いは、復活を信じる人々を言い込める、とても有名な問いだったのかもしれません。けれどもイエスは真っ正面からこの問いに答えられます。あなたがたは大きな勘違いをしている。天国を、復活後の世界を、今の世界の基準で理解しようとしているから、このような考え違いをするのだ。私たちも知りたいと思います。神が私たちのために備えていてくださる世界は私たちの頭では理解しきれない、本当に豊かなところなのです。
2 復活は確実にある
復活自体を疑ってかかるサドカイ人にイエスは、モーセの召命の記事から、復活を否定することのナンセンスさを指摘されます。あそこで神はモーセにご自身を表し、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」とおっしゃいました。神にとっては五百年前に地上を歩んだ聖徒たちも決して過去の人物たちではなく、今も彼らは神の御思いの中にある。確かに彼らはまだよみがえってはいないかもしれません。けれども、彼らのよみがえることはあまりに当然で疑う余地のないことなのです。
3 よみがえりであるイエス
イエスはおっしゃいました。「わたしは、よみがえりであり、いのちである。わたしを信じる者はたとい死んでも生きる。また生きていて私を信じる者はいつまでも死なない」(ヨハネ11:25-26)。まさに、私たちの復活のために道を開いてくださるためにイエスは十字架で私たちの罪を負って死のうとしておられました。このお方にあって、私たちもよみがえり、神によって生かされるのです。 息をしているから生きているという以上に、私たちはこのお方にあって生きるのです。
(2008.2/10)