神のものは神に
(ルカ20章20 〜 26節)
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。。(25)
「カイザルに貢ぎを納めてよいでしょうかいけないでしょうか」。この問いは、非常に巧妙な罠でした。イエスはおっしゃいます。デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、誰の記号か。デナリ硬貨にはカイザルの肖像が刻まれていました。イエスはおっしゃいます。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
1 キリスト者の社会的責任
イエスは「カイザルのものはカイザルに」と語られました。私たちがこの地上を歩んでいる限り、その社会的責任を果たすと言うことはとても大切なことです。パウロも、上に立てられた権威に従うようにと勧め、また、ペテロも「すべて人の立てた制度に主のゆえに従いなさい」と勧めています。またパウロはその晩年に、「王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい」と教えました。もちろん、王が、神に背くことを強制するような時には、殉教を覚悟で、神に従うということが求められるでしょう。ただ同時に、私たちが社会的な責任を果たし、社会のルールに従って生きると言うこともまた大切なこととして、イエスもそれを受け入れられたのです。
2 神に対する責任
イエスは「神のものは神に」とおっしゃいました。私たちには神に対して果たすべき責任があります。神のものは神に返しなさい。それはまた、神のものを、神にささげるべきものを、他にささげてはならないということでもあります。神を第一にし、神を神としてあがめて生きる人を神様は豊かに祝してくださいます。
神に返すべきものがある。ただし、私たちは、私たちがすべてをささげたとしても、そもそも、それらは神のものだったことを知っています。私たちは生まれたときには何ももたないで生まれてきたわけで、何かを持っているとしたら、それは全部後から神様にいただいたものにすぎないのです。だから、主からゆだねられたものを主のために用いる、それは、当たり前のことです。そこには本来、悲壮感だとか、誇りのようなものは出てくるはずはないのです。なぜならそれは神のものを神にお返ししたにすぎないからです。
神様はあなたにご自身のひとり子をささげてくださいました。そして私たちには神の銘が刻まれています。私たちはこの世に生きる者として責任を果たしつつ、神の前に誠実な歩みをするものでありたいと思います。
(2008.2/3)