あってはならないこと
  
      (ルカ20章9〜18節)

このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。(使徒4:11-12

 

イエス様は、ご自分の立場を説明するために「悪い農夫たちのたとえ」を語られました。民の指導者たちはこのたとえの意味を理解することができました。けれども彼らは悔い改めようとはしませんでした。彼らはかえっていらだちを激しくし、イエスをとらえようとしたのです。

1 あってはならないこと

あってはならないことが起こっています。神がせっかくすばらしい世界を作られたのに、人間はそれをおかしなことに、自分自身の目的のために用いようとしました。愛し合うように人間を作られたのに、憎み合い、足を引っ張り合い、ねたみ合い、時には殺し合うようになりました。私たち一人一人の心の中に神様のみこころが何であるかを知りながらも、神様の御旨に反抗し続け、まだいいだろう、まだいいだろう、と高をくくって生きている。あってはならないことをし続けている。そんなことがあってはならない。私たちは神の子を殺してしまうまでやめない。これでもう神様の言うことは聞かなくていいだ。神様を抹殺するまでやめない。神に従わないことは本当に割に合わない、不合理なとんでもない
ことです。でもそんなことをしている。そうではないでしょうか。

2 ありえないこと

 けれども神は驚くべきことをしてくださいました。私たちが拒んだ、十字架につけられたイエス・キリストが隅の頭石になった。これは城壁の角の一番上に据えられたということです。人々が、いえ、私たちが拒み、私たちが捨てたイエスがあげられ、栄光をお受けになった。まさにこのお方を仰ぐ、そのことが私たちの救いにつながる、そのような道を開いてくださったのです。このお方を拒んだらどこにも救いはありません。このお方を拒むことはまさに滅びにつながるのです。

3 今、なすべきこと

あってはならないことが起こっています。けれども、このような私のためにも、十字架の上につけられて捨てられてくださったイエスこそが救いです。このお方を信じることだけが私たちに残された救いの道なのです。私たちのすべきことがあります。自分がとんでもない生き方をしていたことを認めて、悔い改め、このお方を信じることです。      

(2008.1/27)