権威のあるお方
  
      (ルカ20章1〜8)

わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。(マタイ28章18節)

 さて、祭司長・律法学者たちが、イエスに詰め寄ります。「何の権威で、これらのことをするのですか」。彼らの言葉の背後にあるのは、「あなたには、そんな権威はないではないか」ということであり、裏をかえせば、「ここで、権威をもっているのは私たちだ、勝手なことをされては困る」ということだったでしょう。

1 イエスの権威

 イエスが山の上でみんなに説教をしたとき、みんな驚きました。イエスが権威ある者のように語られたからです。イエスの言葉に権威があったのは、イエスが単に口先だけではなく、また人に要求するだけではなく、その通りに生きておられたからです。

 またイエスは病気をいやし、悪霊を追い出し、風や波でさえも、イエスの言葉に従いました。語られた言葉は地に落ちず、必ずそのとおりに実現したのです。イエスはこうもおっしゃいました。天地は滅びても、私の言葉は滅びない。

 そして、イエスはさばきのことはすべて、子にゆだねられた(ヨハネ五22)、とさえおっしゃいます。イエスは、今も父なる神の右に座し、私たちの永遠を決める権威さえもっておられるのです。

2 イエスの権威の出どころ

 「天からか、人からか」。バプテスマのヨハネについて問いかけられた問いは、イエスに対する問いでもあります。イエスはこの地上の歩みにおいても、父なる神に従い、その思いを実行しておられました。父なる神とイエス・キリストがひとつだったからです。イエスの権威は確かに父なる神に与えられていたのですが、同時にイエスご自身が権威者だったのです。イエスは神だからです。

3 権威をもたれた主に従おう

 「天からか、人からか」。その権威が天からだったら従うべきです。イエスは天においても地においても一切の権威をもっておられます。だから私たちはこのお方の前にひれ伏し、このお方の前に従うのです。

二つの道があります。イエスの権威を認めてひれ伏し従うか、イエスの主張される権威を否定してイエスを抹殺するかです。私たちは、このお方に従い、このお方の権威の下にひれ伏すものでありたいと思います。

(2008.1/13)