ヨブの見た神
(ヨブ42章1〜17節)
わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします。それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います。 (ヨブ記42章 5〜6 節)
私たちは、もし本当に神様のことがわかるようになったら、もっと恵まれて、もっと愛と平安の中を歩むことができるのではないでしょうか。
1 耳で聞いていた神
ヨブは神を知らなかったわけではありません。耳で聞いていた。耳で聞くのも大切です。キリスト教の偉大な伝道者パウロは、信仰は聞くことに始まるといいました。けれども、そこでは二次的に、誰かを通して神を知るという側面が強くなります。それは始まりなのです。
2 ヨブがその目で見た神
もちろん、ヨブが「神をこの目で拝見する」と言っても、それは肉眼で神を見たということではなかったでしょう。神は霊なるお方だからです。ある意味で、神とのより親しい交わりの中にヨブが入れられたということだと思います。
私たちも、このお方と、あのヨブが出会ったように、いや、もっと親しい形で今も出会うことができます。聖書の御言葉を通して、また今もわたしたちのうちに住んでいてくださる御霊の働きによって、この生けるお方とわたしたちは出会うことができるのです。神はわたしたちと出会ってくださるのです。
3 神を見たヨブ
神を見たヨブは何をしたでしょうか。ヨブは悔い改めました。わたしたちは神を知ったら、そこから出てくるのは貧しく、罪深く、汚れた自分の姿です。そして、神がその御前にひれ伏しているヨブに求められたのは、自分に散々悪口を言った自分の友達のためにとりなしの祈りをささげることでした。神はヨブを「わたしのしもべ」と呼ばれます。神と出会う経験は、自分に箔をつけるためにするのではありません。神と出会うときに、神に無条件で仕える者に変えられていくのです。
そして、ヨブが友達のために祈ったときに、神はヨブを癒し、ヨブの繁栄を元に返してくださいました。ヨブは自分の繁栄のために祈ったのではありません。ヨブにとってはある意味、神と出会ったということが何よりも大きな祝福だったからです。けれども神はヨブをその地上の歩み、その財産においても再び祝してくださいました。
あなたにも神と出会っていただきたいのです。神はわたしたちをも祝福し、豊かにしてくださいます。
(2007.12/30)