自らをあらわされる神
(ヨブ38章1〜41節)
この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた。「無知の言葉をもって神の計りごとを暗くするこの者はだれか。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ」。(ヨブ記38章1〜3節)
神は私たちの祈りを聞いてくださいます。神はずっとヨブを見つめておられる、ヨブに関心をもってかかわり、ヨブの叫びを聞いておられました。神はわたしたちの叫びも聞いていてくださいます。
そして神は単にヨブの祈りを黙って聞いておられるだけではありません。わたしたちの問いかけがどれほど重いものであったとしても、神はその叫びに答えてくださる。神が無視されることはないのです。
ヨブはその自分に襲ってきた苦難の意味を知りたい。なぜ義人が苦しむのか、知りたい。けれども神はヨブの問いかけにチャレンジをなさり、ヨブの問いへの答えとしてご自身をあらわされるのです。
1 わたしは知っている
神が開口一番おっしゃったのは、あなたは何を知っているのか。ということでした。ある意味、ヨブは自分の知識、自分の論理性、自分の考えで物を言っていたでしょう。でもここで神が畳み掛けるように「知っているか」と言われるときにヨブは何も知らないということに気づかなければならなかった。もちろん、ここでヨブを黙らせられた神がヨブにおっしゃるのは、わたしは知っているよということだった。神には知らないことはないのです。全部知っておられる。
2 わたしにはできる
あなたにはできるか。あなたがしたのか?といわれるときにヨブはいいえ、わたしがしたのではありません、と答えなければならなかった。そして神がおっしゃるのは、わたしは知り、わたしはなすことができる!ということでした。神にはおできになるのです。
3 わたしはする
その全部を知り、なすことのおできになる神が計画をもち、天地創造というような大きなことも、またからすの子を養うというようなことも、すべてのことをなしてくださっている。ヨブの人生に対してもまたそうでした。
クリスマス、それはまさに神様からわたしたちへの答えです。わたしたちの苦しみ悩みがどんなに複雑で、どんなに深かったとしても、ヨブに答えて、自らをあらわされた神は、わたしたちにもほらイエスを見てごらん。わたしがクリスマスに遣わしたイエスをみてごらん、これがわたしの答えだ。神様はおっしゃるのです。
(2007.12/23)