固守しないで
  
      (ピリピ25〜11節)

キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしくして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。  (ピリピ2章6,7節)

1.御子を捧げた父なる神

 子を持つ親は子どもの大切さがよく分かる。苦労して育てた子どもであればなおさらである。今年も子どもたちが犠牲になったというニュースが多く流れた。大切な子どもの命を失うこと、突然手放さなければならなくなること、それほど親にとって辛いことはないであろう。

 この世の中に自分の命よりも大切な子を手放す親はそうはいない。ましてやそれがひとり子だとしたら。またそれが誰かの身代わりだとしたら・・・。

2.自ら進んで捧げたキリスト

 キリストは神であられることを捨てたわけではないのだが、神である特権や権力を自ら捨ててこの地上に来てくださった。神であるという特権を主張しつつ人間になってくださったのでなく、それらを自ら手放され、私たちと同じ人間になられた。

 天の御座におられれば全く危険にさらされる必要のないお方が、安全の保証がない所に赤子として来られた。ある程度の危険を回避出来る能力をもった大人としてではなく、全く不自由な、命さえ狙われるような存在として来られた。神としての権威をもったお方が、人間の中でも最も低い身分の者たちの中で生活され、最後には極刑に処される道を自ら選ばれた。この世の価値観とは全く反対の道、すなわち自らの権威、権力を手放してまで弱い人間になられた。

 いったいなぜそこまでして犠牲を払われたのか?なぜ、父なる神、御子イエスは自ら大切なものを手放されたのか?

 その理由は簡単な一言で言えることである。それは「あなた」のため。あなたを心から愛して止まないゆえに自ら大切なものさえ手放されたのだ。

3.固守しないで

 このクリスマスの時、世界中の町が飾られ、喜びと賛美で満たされる時、私たちが覚えたいこと。それは自らの特権を固守しないで私たちのために捧げてくださった神の愛。そして、その愛にどう応えていくべきかということ。あなたにとって手放すべきものはないだろうか?固守すべきものでなく、固守し続けてはいけないものはないだろうか?聖霊に示していただこう。それをもったままクリスマスを迎えることがないように導かれよう。

(2007.12/16  木下昌彦師